ベネルクス三国の旅  2日目前編  オランダ (オッテルロー)

早朝 野うさぎの跳ね回る宿泊ホテルの庭を散歩。

朝食の後本格的な観光が始まります。

クレラー・ミュラー美術館
宿泊地スキポールからバスでオッテルロー村までは1時間40分。

ゴッホの森と呼ばれている、ホーフェ・フェルウェ国立公園内のオッテルロー村にクレラー・ミュラー美術館があります。

この美術館は実業家のアントン・クレラー・ミュラーと、その夫人ヘレン・クレラー・ミュラーのコレクションを基に1938年に開設されました。
フィンセント・ファン・ゴッホに関するコレクションで知られ、87点におよぶ規模はアムステルダムゴッホ美術館とならび、二大ゴッホ美術館と称されています。

森の中の美術館、エントランスにはイニシャルの「K」の作品が印象的です。
             遠くに見える赤い作品はマーク・ディスぺロ作”K-ピース”1972年作
          

          

館内にはゴッホピカソセザンヌ、モネ、ルノワールモンドリアン、スーラーなどの有名な絵がたくさんありますが、まずはゴッホの絵から鑑賞。

手が届くところに名画が並んでいて、写真撮影も(無料)出来ます。
ゴッホの作品の額装は豪華絢爛ではなく、木の素材で作られた素朴なものでした。自然な森の中の美術館に相応しいと感心しながら鑑賞しました。
          

ゴッホ「夜のカフェテテリア(フォーラム広場)」1888年
1888年2月、ゴッホは南フランスのアルルに移り、「ひまわり」や「夜のカフェテラス」などの名作を次々に生み出しました。
この作品は1888年2月から滞在した南仏の町アルルの旧市街の中央にあるフォラン広場に面する、比較的裕福な階級層向けのカフェテラスの情景を描いた作品です。画面左側に当時の文明の発展を象徴するガス灯の黄色の光に照らされるカフェが輝くように描写され、画面右側と前景にはカフェへと続く石畳、そして一本の杉が描かれています。一方、画面上部には窓から光の漏れる薄暗い旧市街の町並みと、青々とした夜空が印象的に配されています。黒色を全く使用しない黄色と深い青色で描かれる夜の情景表現は、ゴッホがこの作品で取り組んだ最も大きな要素のひとつであり、この黄色と青色の明確な色彩的対照性や激しい衝突は観る者の目と心を強く奪います。さらに夜空に輝く星々の独特な表現は、画家自身の言葉によれば夜空に咲く「天国の花」として描いた為としています。石畳の複雑な色彩表現も素晴らしい。画面最前景の轍の入った石畳の、やや影が落ちた暗く強い色調と、最もガス灯の光が当たるカフェテラスの前の石畳の白く反射する明瞭な色調の対比的描写は、図形化したかのような造形と共に、この頃に手がけられた画家の作品の中でも傑出した表現であり、アルルの旧市街にある夜のカフェテラスの情景の印象を決定付けています。
  

ゴッホ「アルルの跳ね橋(ラングロアの橋)」1888年
日本の浮世絵に強く惹かれていたゴッホは、南仏を日本とよく似た土地と考え、アルルでなら何かをつかめるかもしれないと考えていました。その南仏で暮らした「アルル時代」のわずかな期間にゴッホは、200点にのぼる作品を描きました。「ひまわり」「夜のカフェテラス」など豊かな色彩で彩られたゴッホの代表作の多くは、この「アルル時代」に描かれた作品です。
この作品はその「アルル時代」の初期に描かれました。希望に満ちたゴッホの心の中を反映して、アルル郊外の通称ラングロワ橋とその周辺に暮らす人々の姿を明るく描き出した作品です。
 
 
   

ゴッホ「糸杉と星の見える道」1890年
この作品は画家が精神的窮地に陥り、自ら志願して入院することとなったサン・レミのカトリック精神病院「サン・ポール」で制作された作品です。画面中央には大きく枝葉を揺らめかせるように天へと伸びる糸杉が一本、象徴的に配されており、その先端となる画面上部では、糸杉を境に右側へ明々と輝く三日月が、左側には煌々と闇夜を照らす星が描き込まれています。サン・レミ滞在時期、通称サン・レミ時代にゴッホは糸杉を画題とした作品を複数枚手がけていることが良く知られていますが、画家にとって糸杉は人間の生、すなわち誕生や成長、友愛、永遠への憧憬を意味していたと同時に、その終焉である≪死≫をも象徴する存在であり、精神的圧迫に苦悩していたゴッホには自身の内面世界を反映する為に最も的確なモチーフでもありました。画面下部には2人の農夫と一台の荷馬車が配されており、画家の迷宮的な孤独からの脱却願望も見ることができます。この頃のゴッホが獲得していた、やや長い筆触による荒々しい大胆な形態描写と印象表現は本作の異様的なゴッホの心象世界を見事に表現しており、特に夜空に輝く星や三日月の渦巻くような筆致による光と闇の対比的描写や、農夫たちを飲み込んでしまうかのような農道の質感表現にはゴッホの独創性が良く表れています。
          

ゴッホ「種まく人(種をまく人、農夫)」1888年
後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホの色彩家としての才能が顕著に示される傑作『種まく人「種をまく人、農夫」。本作は、強烈な陽光の輝きを求め訪れた南仏アルル滞在期(1888年2月-1889年5月)に制作された作品で、19世紀フランス写実主義の巨匠ジャン=フランソワ・ミレーの代表作『種をまく人』に共鳴を覚え、同画題にて取り組んだ作品のひとつです。絵画を制作し始めた早い時期からゴッホはミレーが扱った画題「種をまく人」に強い固執と羨望の念を抱いており、ゴッホはこの頃書いた手紙の中で次のような言葉を残しています。「種まく人を描くことは昔から僕の念願だった。古い願いはいつも成熟できるとは限らないけど、僕にはまだできることがある。ミレーが残した種をまく人』には残念ながら色彩が無い。僕は大きな画面に色彩で種まく人を描こうかと思っている。」。このような言葉からも理解できるよう、1888年の秋頃に手がけられた本作で最も注目すべき点は過剰とも思えるほどの刺激的な色彩の表現にある。画面上部ほぼ中央には、強烈な光を放ちながら地平線へと沈みゆく太陽が配され、遠景の穂畑を黄金色に輝かせている。中景へは陽光の黄色と対比するかのような青色の凹凸の陰影が斑状に描き込まれる畑へ種を撒く農夫がミレーの『種をまく人』とほぼ同様の姿態で配されており、逆光に包まれたその姿には人間としての力強い生命力が感じられます。                      
          
ゴッホ馬鈴薯を食べる人達」1885年
初期に繰り返し描いた重要なテーマ「馬鈴薯を食べる人たち」
オランダ時代には、貧しい農民の生活を描いた暗い色調の絵が多く、ニューネンで制作した「ジャガイモを食べる人々」はこの時代の主要作品です。
貧しい労働者階級の家族が、小さな慎ましいランプの光の中で夕食として馬鈴薯(じゃがいも)を食する情景を画題にした作品は労働者への宗教画にも通じる聖性を含んだ賛美と深い共感が示されています。ゴッホは青年期に炭鉱地帯で牧師として就労するなど貧しい人々の生活の実態を目の当たりにしており、彼らの生活内に漂う独特の悲愴感・哀愁感や、それでも逞しく生きる労働者たちに強く共鳴していました。「僕はこの絵で何よりも、ランプの下で皿に盛られた馬鈴薯を食べる人々の手が、大地を耕していた手であることを明確に表現することに力を注いだ」とそれを示す言葉を残しています。なおゴッホは≪馬鈴薯を食べる人たち≫を画題とした作品を(習作を含み)数多く手がけています。
            
          
      ゴッホ「オリーブ園」1896年         ゴッホ「四輪の枯れたヒマワリ」1887年
                       

ゴッホのコレクションは油絵だけでなくデッサン約165点にも及びます。
          

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ゴッホの作品以外にも、名画が沢山ありました。

                  オーギュスト・ルノワール「カフェにて」1877年

          

               ジョルジュ・スーラ「シャユ踊り」1889-90年
                          

                   アンリ・ファンタン=ラトゥール
               「エバ・カルマチ・カルタギの肖像」1881年
                           

               オーギュスト・ルノワール「ピエロ」1868年
                           

                ハンス・バルダング=グリン「ビーナスとアモール」1524-25年
                              

                イーサク・イスラエルス作「植民地部隊の移送」
          

モダンアートや抽象画のコレクションも多く、25万㎡という広大な庭園には、19世紀と20世紀の彫刻作品が100点以上展示されています。緑に囲まれた広大な敷地に彫刻が散在する展示方法は、日本の彫刻の森美術館の参考になったそうです。
          

公園内には何箇所かに多くの自転車が置かれていて、好きな所で乗って又違う場所に返しておけば良いので、広い公園を廻ることが出来ます。でもこの自転車のブレーキはハンドブレーキではなく、オランダ式の足ブレーキ(ペダルを後ろこぎするブレーキ)なので、慣れるまで少し時間がかかりそうです。
自転車に乗ってエナメルの庭や、はりの塔に行きたかったのですが、この広い公園で迷ったら集合時間に戻れなくなりそうでしたので断念しました。
               本来ならこの自転車で公園内を廻りたかったのですが残念。
                        

クレラ―ミュラー美術館には2003年正式にゴッホの作品である可能性が否定されていた花の作品がありましたが、最近その絵が本物と判明しました。最新のX線調査で、背後に2人のレスラーを描いた絵が見つかったのです。レスラーを描いたゴッホの作品については、ゴッホが手紙で触れていたため存在が知られていましたが、これまでは紛失したものと考えられていました。ゴッホはパリ時代に花の絵を意欲的に描きましたが、この作品がこれらの花の絵と違った大きいサイズのキャンバスに描かれていたことも、作品の信憑性に疑いを持たせることとなりました。ゴッホがレスラーを描いたのはそれ以前の暗い色調の時代であり、当時アントワープで購入した大きめのキャンバスが使われたと考えられます。ゴッホは節約のためや不満足な絵を隠すために、1枚のキャンバスを度々再利用しています。
さらに今回の調査で、表に描かれた花の絵と、裏に描かれていたレスラーの両方の顔料が、ゴッホのパレットの顔料と完全に一致していることが明らかとなり、また、筆運びもゴッホの他の作品と一致していることが確認されました。この作品は再び一般公開されることになっていると言うことでしたので、是非とも観たいと思っていたのですが、係りの方に伺っても分かりませんでした。

ヴィンセント・ファン・ゴッホが、画家として活動したのは10年余りの短い期間ですが、多くの名画を残しています。にも関わらず彼の存命中に売れた絵はたった1枚「赤い葡萄畑」だけだったのです。経済的に恵まれなかったゴッホが節約の為1枚のキャンパスを再利用していたことが垣間見られます

クレラー美術館を見学した後、アムステルダムに向かいます。

昼食は伝統的オランダ料理ヒュッポット
ヒュッポットはジャガイモ、タマネギ、ニンジンを煮込みマッシャ−でつぶし塩、コショウで味を付けたものです。大きなミートボールと共に頂きました。                 ↓
    

昼食後は 国立美術館で絵画鑑賞、その後運河クルーズ、アムステルダム市内観光と盛りだくさんです。