アンティーク ジュエリーボックス

先日(5月18日)ミニアチュール・ジュエリーについて少しだけ触れましたが、持っているミニアチュールの疑問がまだ解けません。あれから2件のアンティークショップを訪ねましたが分かりません。

そこで、そのミニアチュール・ジュエリーを入れてあるジュエリーボックスをご紹介します。

このジュエリーボックスは1870年代のペンダントウォッチガラスジュエリーボックスです。

1800年代中期〜1900年代初期に製造されていた フランス製のジュエリーボックスにはべベルガラスが、オルモル製のフレームにはめ込まれたこのようなスタイルのものが多く見られます。

オルモルというのは、金メッキの製品で、真鍮(青銅に亜鉛を加えた金属)に金をメッキしたものです。

ベベル ガラスは別名面取りガラス。厚みの板ガラスに面取りをしたものです。
中には 赤いシルクのクッションが張ってあります。
                       高さ9.5cm×幅8.3cm×深さ5cm    
                            フランス製       
          

厚みのあるガラスが特徴のとても雰囲気あるジュエリーボックスです。
小さなものであっても、部屋の片隅においても、アンティークは静かな存在感で心を和ませてくれます。

繊細な作りとは言えないこのジェリーボックス、なぜか見た目よりもお値段が高めです。
(現在3万円前後で売られていて、数も完品は多く有りません。)

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このころのフランス
このジュエリーボックスを手に入れたときに、パリ万国博覧会のお土産としてこれに似たジュエリーボックスが売られていたと言うことを本で読んだ記憶が微かにあります。記録していないので今回調べ直したのですが、書かれているものを見つけることが出来ませんでした。
その影響からかこのジュエリーボックスを見ると当時のパリ万博の事が頭をかすめます。

この頃のフランスと、パリ万博のことを考えると、もしかしたらお土産として売られていたのかもしれないと想像しています。

このジュエリーボックスが作られたと思われる頃のフランス。
第3回の1878年のパリ万博では、フランスに成立した第三共和政を世界に宣伝し、フランスが再び文化の中心として復活したことを誇示する目的がありました。この万博以前に勃発した普仏戦争1871年プロイセン(ドイツ)に敗北し、アルザス=ロレーヌ地方を割譲、50億フランもの賠償金を支払った敗戦国であったからです。

1889年のパリ万国博覧会に合わせ、エッフェル塔が建設されました。
建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、1930年にニューヨークにクライスラービルが完成するまでは世界一高い建造物でした。そう言えば今日634メートルと世界一の高さを誇る自立式
電波塔「東京スカイツリー」がオープンされますね。

そして、このようなジュエリーボックスが作られた頃のフランスをパリ万博から見ると・・・・
1855年以後、パリで開催された国際博覧会では5回目となる1900年の万博は、19世紀を締めくくり、20世紀への展望を示す、パリ万博史上最大の規模の博覧会となりました。
ドイツやアメリカが重工業部門によって目覚ましい発展をとげていた1890年代、フランス共和国政府の関心はテクノロジーから高級な手工芸・装飾芸術へと方向転換した。国際競争においてフランスの優位を実現できるような万博を開催し、フランス本来の洗練された優美さを武器にファッションや織物、装飾品、家具の分野を推進しようという考えだったのです。これが後のアール・ヌーヴォーの興隆に繋がって行きました。
参加国は40カ国を越え、セーヌ左岸には各国のパヴィリオン群があり、世界の縮図の観を呈していました。
1900年のパリ万博で登場したのが、「電気」を使ったアトラクションです。「動く歩道」やそれと平行して走る電車が人気を呼びました。しかし動力としての電気以上に人々を喜ばせたのは光(照明)としての電気の魅力でした。電気館の前の電気の精の彫刻や噴水が 照明により様々な色に変化する様子を人々がうっとりして眺めている様子が想像できます。
このパリ万博はフランスの芸術での優位性が強調され、万博を機にアール・ヌーヴォーが流行したという点や、人々に様々な娯楽も同時に提供したという点でこれまで開催されたパリ万博の中では最も華やかかつ大規模なものでした。