2016-01-01から1年間の記事一覧
今月25日からしばらく娘家族の住むニューヨークに行きます。この2週間で体調が少し下降したようで、今までのように重いものを持つことが出来なくなってしまいました。孫を抱きあげることも、お馬さんごっこで背中に乗せて歩く事も 大事をとると出来そうもな…
9日目 後編 コソボ これからプリシュティナに戻り今回の旅最後の観光をします。ファーティヒ・ジュミーア オスマン朝のスルタン、メフメット2世(1432年〜1481年)により1461年に建てられた プリシュティナ最大のモスク。 モスクを覆うドームは長さ15.5mあ…
9日目 前編 コソボ コソボの中世建造物群 いよいよ今回の旅の最終日。プリシュティナからデチャニに向います。 アルバニア人とセルビア人の争いの末にでき上がったコソボ。 紛争後もそれぞれが信仰するイスラム教とセルビア正教の争いは無くならず、現在も火…
8日目 後編 コソボ マケドニアとの国境を通過して最後の訪問国コソボに入りました。 最初の観光地はプリズレンです。コソボ共和国 首都プリシュテナ 人口180万人。アルバニア人が約92%。セルビア人が歴史的には多い時代もありましたが、コソボ紛争などで難…
8日目 前編 マケドニア スコピエ 今日はマケドニアの最大の都市スコピエを観光した後、いよいよ今回の旅国最後(6ヵ国目)の国 コソボに入ります、スコピエ スコピエはマケドニア最大の都市で、政治、文化、経済、学術の中心です。 人口は約50万人。そのうち…
7日目 今日も国境越え。5ヵ国目の訪問国マケドニアに向います。 朝ホテルを出発。バスで約4時間のマケドニアのオフリドを目指します。マケドニア共和国 首都スコピエ 通称マケドニアは、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。前身はユーゴスラビ…
6日目 後編 アルバニア ベラートベラート アルバニアの中南部にある町ベラート(ベラトとも)はオスム川の谷あいに発展した町です。ビザンツ帝国、 ブルガリア帝国、セルビア王国などの支配を経て、15世紀半ばよりオスマン帝国の支配下におかれていましたが、2…
6日目 前編 アルバニア ティラナモンテネグロノブドヴァからバスで約3時間 今回の旅 4ヵ国目の訪問国アルバニアに行きます。アルバニア共和国 首都ティラナ 人口約300万人。古い時代のアルバニア人は、バルカン半島の古代民族イリュア人の子孫で旧ユーゴに多…
5日目 後編 コトルからバスで約30分のブドヴァに向います。 ブドヴァは2500年の歴史を持ち、アドリア海沿岸の最古の都市の一つです。 現在は、ブドヴァンスカ・ビーチと呼ばれるモンテネグロのビーチリゾートの中心地で、ヨーロッパのの富豪も多く住んでいま…
5日目前編 コトル 今回の旅の3ヵ国目の訪問国モンテネグロに向います。国境を通過し、モンテネグロの国に入ります。モンテネグロ 首都ボドゴツァ モンテネグロという国名は「黒い山」を意味するイタリア語のヴェネチア方言が由来です。 国内のモン族構成は、…
4日目 後半 午後はボスニア地方のサラエボからバスで2時間の ヘルツェゴビナ地方のモスタルに向かいます。へルツェゴビナはフムと言う地方でしたが、中世ボスニア王国の時代に、この地域の首長スチェパン・ヴクチッチが王国への巨従を拒否し、1448年ヘルツェ…
4日目 前半 サラエボ 今日はサラエボ市内観光からです。サラエボ サラエボはボスニア・へルツェゴビナの首都で街としての形成は、オスマン帝国の統治下の15世紀からと言われています。宗教的な多妻制で知られ、イスラム教、正教会、カトリック教会、ユダヤ教…
3日目 後編 国境を通過し、セルビアから今回の旅2番目の訪問国ボスニア・ヘルツェゴビナに入ります。バスはこの国最初の見学地ヴィシェグラードの街へ向かいます。谷間を流れる川はドリナ川の支流、西に流れてヴィシェグラードでドリナ川に合流します。ボス…
3日目 前編今日はバルカン半島の旅2ヵ国目の国 ボスニア・ヘルツェゴビナに向います。セルビア最後の観光はモクラ・ゴラです。モクラ・ゴラモクラ・ゴラはボスニア‐ヘルツェゴビナとの国境近く、ズラティボル山地の北麓に位置します。 歴史遺産として保存さ…
2日目 セルビア ベオグラート 聖サヴァ教会 チトーの墓聖サヴァ教会 聖サヴァ教会は世界の正教会で最大級建物規模の教会です。 聖サヴァは、中世セルビア王国創始者の「ステファン・ネマニャ」の息子で、セルビア正教会の創立者です。彼の遺体は、セルビア南…
2日目 セルビア ベオグラート カレメグダン要塞 空爆通り 昼食後はベオグラートに向います。 ベオグラート べオグラートはセルビアの政治、経済、文化、学術の中心都市です。旧ユーゴスラビア時代では首都でもありました。人口は約200万人。ウィーンを通って…
2日目 セルビア ノヴィ・サド スロボダ広場 要塞を後 ドナウ川を渡り市街地へ、町の中心スロボダ広場に向います。スロボダは自由を意味することから、自由広場とも呼ばれています。周辺にはカトリックの聖母被昇天聖堂、セルビア正教の大聖堂、ユダヤ教のシ…
2日目 セルビア ノヴィ・サド ペトロヴァラディン要塞 昨夜成田を出発 機内泊で、べオグラートの空港に着いて早速観光が始まります。セルビア共和国 首都ベオグラート セルビアは旧ユーゴスラビア連邦の解体の過程で、政治の枠組みとして最後まで母体として…
1日目 セルビアの べオグラートに22時30分成田発のトルコ航空にてイスタンブールへ(所要時間約12時間10分)日本とトルコの時差は、-6時間 イスタンブールで乗り継ぎセルビアのベオグラードへ(所要時間約1時間40分) 到着は翌日の8時20分 日本とセルビアの…
昨夜 バルカン半島の旅から帰国しました。ヨーロッパ最後の秘境西バルカン6か国(セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、アルバニア、マケドニア、コソボ)の国々は多様な民族、宗教、文化が共存し、大国との間で翻弄され続けた悲しい歴史を持…
キューバの旅の余韻も冷めないうちに 明日から「旧ユーゴスラビアの面影を訪ねて 悠久のバルカン半島」と言うツアーに参加します。美しい自然から戦争の爪痕まで様々な姿を見せるバルカン半島は様々な民族、異文化の混在した魅力ある国々です。多様な民族、…
6日目 4 キューバでの最後のお食事はヘミングウェイも良く利用していた「ボデギター・デル・メディオ」で頂きます。このお店はオールド・ハバナのカテドラルにほど近く1ブロック入った細い裏通りエンペドランド通りにあります。ブロックのほぼ真ん中にあっ…
6日目 3 ハバナに戻ってまいりました。 これからキューバ人のお宅訪問です。一般民間人の家を訪問するのは政府の許可が必要なようですので?キューバ人と結婚している日本人女性R子さんの家を訪ねました。彼女は日本政府の仕事でキューバに来ていた時に旦那…
6日目 2 ヘミングウェイ博物館 コヒマルの海岸から車で20分、サン・フランシスコ・デ・パウラという村の閑静な住宅地に、かってヘミングウェイが住んでいたフィンカ・ビビア邸があります。 ヘミングウェイは米国人ですが、キューバを第2の故郷と呼んでいた…
6日目 1 朝食後 の〜んびりと過ごしたバラデロを後に、ハバナに向けて出発。 ハバナまではバスで約2時間半。 ハバナに戻る前に、途中 ヘミングウェイの小説「老人と海」の舞台になった所として有名な、小さな漁村コヒマルに寄ります。昼食は、ヘミングウェ…
5日目バラデロ キューバ屈指のビーチリゾート地バラデロ。1930年頃には、アメリカの富裕層が別荘をこぞって建てていたそうです。 現在はヨーロッパ資本が入り、大型の高級リゾートホテルが28キロあるという白い砂浜に林立。 オールインクルーシブホテルが多…
4日目 2サンタ・クララはクリストファー・コロンブスによって開かれ、キューバで最初に欧州人に建設された都市です。17世紀にはスペインの植民地統治の中心地として繁栄しました。周辺地域でサトウキビやタバコが大量に栽培されるため、それら作物の集散地…
4日目 1 今日も良いお天気。キューバは9月は雨期ですが、旅行中ずっとお天気に恵まれています。 宿泊のホテルの部屋から見た朝日 ホテルを出発。ロスインへ二オスに向います。ロス・インヘニオス渓谷 「ロス・インヘニオス渓谷」には、植民地時代の18世紀末…
3日目 2昼食後トリ二ダ-に向けて出発。シエンフエゴスからトリニダーまでは約1時間半弱の移動です。車窓は延々と何にもない風景。 ときどき遠くに見える町以外はひたすら草原です。トリ二ダはスペイン植民地時代に奴隷売買とサトウキビ取引で栄えた街で、16…
3日目 1 今日はバスでシエンフエゴスへ約3時間30分の移動です。世界遺産の町シエンフエゴス スペインが支配していたころ、シエンフエゴスはスペイン王にちなんで、フェルナンディナ・デ・ハグアと呼ばれていました。町に昇格した1829年からは、当時のキューバ…