キューバの旅  ヘミングウェイ博物館 

6日目 2
ヘミングウェイ博物館 
コヒマルの海岸から車で20分、サン・フランシスコ・デ・パウラという村の閑静な住宅地に、かってヘミングウェイが住んでいたフィンカ・ビビア邸があります。
ヘミングウェイは米国人ですが、キューバを第2の故郷と呼んでいたそうです。22年間、このキューバで生活をし、釣りや 青い海を見ながら、創作活動をしていたのです。
革命の際も、いち早く革命軍の支持を表明していました。
独裁者、バティスタから再三、食事の招待を受けていましたが、一度も行かなかったそうです。

ヘミングウェイは定宿にしていたホテル アンボス・ ムンドスで「誰がために鐘は鳴る」の執筆活動を行っていましたが、完成後、その印税の一部でここフィンカ・ビビア邸を買ったそうです。
        
フィンカ・ビビア邸は彼の遺言によりキューバ政府に寄贈され、そのまま博物館として保存されています。
家の中には入らずに、窓から覗くというスタイルで見学します。
窓がたくさんあり、全て開放されているので、見学するのに支障は有りません。
    

どの部屋にも書籍がいっぱいです。トイレにも本がありました。
アフリカで狩猟した動物の首もあちこちに飾ってあります。
        
リビング
        
老人と海」を書き上げた部屋
立ったまま打ったというタイプライター。8000冊にも及ぶ蔵書などが、当時のまま保存されています。
        

        

        
この邸宅の名前「フィンカ・ビヒア」は眺望楼という意味だそうで、その名の通り、塔の最上階からは素晴らしい景色を見ることができました。一面の緑の向こうに村や町が広がっています。
        
息子さん達が泊まりに来た時に使われた離れ
          

釣竿を作るために植えた竹
                     
広い庭を抜けると、プールがあります。ヘミングウェイが毎日のように泳いでいたプールですが、
今は水が抜かれています。キューバで初めて作られたプールだそうです。
        
猫や犬などの動物が好きな彼は自分の家の離れに猫 屋敷を建て、何十匹もの猫を飼っていたと言われています。

プールサイドには、名前が刻まれたお墓が四つ並んでいました。
猫のお墓だと思ったのですが、犬のお墓だそうです。
プールの奥にはヘミングウェイの愛艇「ピラール号」が飾られていました。
        
ヘミングウェイがグレゴリア船長にプレゼント、船長は国に寄付したあの船です。
        
博物館の見学を終え 駐車場に向いました。ヘミングウエイ博物館の敷地の駐車場には、サトウキビジュースの実演販売コーナーがありました。絞りたてのジュースは美味しそう。
        
キューバの東南部にあるキューバ第二の都市サンティアゴ・デ・クーバ郊外にキューバ人にとっての聖地 コブレの聖母寺があります。
ヘミングウェイの小説「老人と海」の中に、主人公の老人が「この魚を釣り上げて持ち帰る事が叶ったら、コブレの聖母マリアにお詣りすることを誓ってもいい」とつぶやく場面がありますが、それが聖母寺です。

ノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイは、ノーベル賞のメダルを聖母寺に奉納したそうです。