バルカン半島の旅  コソボ  デチャ二  ペーチ

9日目 前編  コソボ   コソボの中世建造物群
いよいよ今回の旅の最終日。

プリシュティナからデチャニに向います。
アルバニア人セルビア人の争いの末にでき上がったコソボ
紛争後もそれぞれが信仰するイスラム教とセルビア正教の争いは無くならず、現在も火種を抱えたままです。コソボ内にあるセルビア正教は、アルバニア人による攻撃のターゲットにされることもあるそうです。
アルバニア人によるセルビア人に対する暴力や殺害が行なわれたり、セルビア正教の教会が破壊されたりしているそうです。
世界遺産になっているデチャニ修道院やペーチ総主教修道院は(この付近はアルバニア人が多く住む)、NATO主体の国際部隊に参加しているイタリア軍によって守られています。
修道院に脅迫状が送られてきたり、実際にロケット砲が撃ち込まれることもあったようです。美しさとは裏腹に襲撃に備え軍が守りを固める世界遺産はやはり違和感があり、コソボが抱える問題を浮き彫りにしています。

デチャニ修道院
世界文化遺産コソボの中世建造物群として登録されている四つのセルビア正教会寺院の一つです。もともとは2004年にこの修道院が単独で登録されましたが、その2年後の2006年に他の三つが追加され中世建造物群となりました。セルビア王ステファン・ウロシュ3世デチャンスキーが建設を開始しましたが、1331年に亡くなられ、息子のステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが1335年に完成させました。この地域における末期ビザンチン・ロマネスク建築を代表する重要な建物で、バルカン半島に存在する中世の教会の中でも、ビザンチン美術における最高位の一つと言われています。
        

        
NATO主体の国際部隊に参加しているイタリア軍人が警備の為修院内を歩いていました。
        
デチャニ修道院の前にある監視小屋(本来は撮影禁止ですが….)        
        

ペーチ総主教修道院
ペーチ総主教修道院はルゴヴァ渓谷の入り口、川沿いの風光明媚なところにあります。修道院は、やはり高い塀で囲まれています
世界遺産 コソボの中世建造物群に一つです。創建時期は不明ですが、中世セルビア王国時代の1346年からセルビア正教会の総主教座が置かれています。現在の建物は1250年から約100年間で順次教会群を形成した中核でもっと古い聖使徒教会の他、聖デメトリウス教会、ホデゲトリアの生神女教会、聖ニコラオス教会があります。教会群はドーム型の屋根の集まりで、セルビア総主教や大司教の霊廟でもあります。この地には古くからのセルビア教会の歴史と、セルビア芸術遺産が守られているところとして知られていて、教会群は、中世セルビア芸術の宝庫です。
オスマン帝国等大国の侵攻、支配時にかなりそれらが失われましたが、多くのイコン、金細工などの装飾品が今でも現存しています。
        
既に壊れて遺跡状態になっている建物跡が眼前に広がり、その奥に赤い色の教会が見えます。この赤いのがペーチ修道院です。
        
修道院は内部の写真撮影が禁止です。中へ入るとまず拝廊にあたる空間が広がっていて、びっしりとフレスコ画で覆われてます。ブルーを背景にしたフレスコ画デチャニ修道院同様鮮やかな見事さです。

ペーチ修道院は、この拝廊を共通の入り口として右手に3つの教会が繋がっています。左から聖ディミトリウス教会、聖使徒教会、聖処女教会、真ん中の聖使徒教会が最も古いもので、13世紀の中頃と推察されています。入り口手前にはさらに小さな聖ニコラス教会が付け足されていて4つの教会の集合体となっています。
        
写真がないのが残念ですが、フレスコ画は素晴らしいもので、天井などは特に色鮮やかで、絵もほとんど傷ついていいない状況でした。どの教会もフレスコ画で溢れていました。外からは小さな窓からほんの少し壁のフレスコ画が見えるだけです
        
修道院教会前には美しい石組みの鐘楼が立ち,その前一帯には昔の修道院の跡が残っています。
        
デチャニの街でもあちらこちらでアルバニアの国旗が掲げられていました。
これはコソボ紛争で亡くなった人たちの墓なのでしょう。
        
昼食はマスのグリル
        
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ペーチ市内
        

        
        
        
ペーチの中心部にもコソボアルバニアの旗が
        
コソボの国旗は、コソボが2008年2月17日に独立を宣言したのと同日に制定されました。青地に金色でコソボの地形が描かれ、上部に配置された6つの白い星はコソボに居住する6民族(アルバニア人セルビア人、トルコ人、ロマ(アッシュカリィおよびエジプト人を含む)、ゴーラ人、ボシュニャク人)の調和と団結を表しています。
                
アルバニアの国旗は、赤地に黒の双頭の鷲を中央に描いた旗。この国旗のデザインは、15世紀にオスマン帝国の支配に抵抗し、一時(1443年 - 1478年)独立を勝ち取った中世アルバニアの英雄、スカンデルベクの紋章にちなんだものです。この国旗は1992年4月7日に正式採用されたものですが、それ以前でも少しずつ違いはありますが、全体として赤地に双頭の鷲というデザインを使用し続けていました。1946年から1992年の共産主義政権下では、現在の国旗に黄色の縁取りの赤い星が加わっていたものを使用していました。その前のアルバニア王国、アルバニア公国時代も同様でした。
なお、コソボでも独立前はこの国旗をコソボの旗として掲げていましたが、独立以降は国旗に準じる民間旗として扱われています。現在でも主にアルバニア人が掲げています。
                
                
これからプリシュテナに戻り今回の旅最後の観光をします。