バルカン半島の旅  コソボ 最終編

9日目 後編 コソボ  

これからプリシュティナに戻り今回の旅最後の観光をします。

ファーティヒ・ジュミーア
オスマン朝のスルタン、メフメット2世(1432年〜1481年)により1461年に建てられた
プリシュティナ最大のモスク。 モスクを覆うドームは長さ15.5mあります。
        
真ん中にある、暖炉のように見える、へこんだ形の所が、ミフラーブです。
        
コーランの説明をして頂きました。
        
後ろを振り向くと、2Fに女性用のお祈りをする場所がありました。
        
天井
        

        
プリシュティナの東側から中心部に向けて、ビル・クリントン通りという大通りがあります。
通りにはクリントン元大統領の像があります。
NATOが旧ユーゴを空爆した時の大統領がクリントン氏です。
アメリカの支援なしにコソボの独立はなかったようで、アメリカに対してとても好意的です。
ここでもアメリカの力が働いていたことを再確認。

プリシュティナ中心部
        
スカンデルベグの像
アルバニアの広場でも見たスカンデルべグの像がここにもありました。
コソボには、アルバニア人が多いので、ここでも国民的英雄なのでしょう。
後ろに建っているのは政府の機関のようです。
        
マザーテレサ通りの「マザーテレサ像」
マザーテレサマケドニアで誕生されましたが、この辺りに住んでたことがあるとか。
        

        
コソボの人たちはとてもフレンドリーでした。

もう夜も更けてきました。

プリシュティナ発20時35分のイスタンブール行の飛行機に乗ります。(所要時間1時間40分)イスタンブールで翌日の深夜01時40分発成田行きに乗り帰国の途に(所要時間11時間30分)。
成田到着19時10分です。

ユーゴスラビアといえば、紛争・地雷・サラエボ冬季五輪、「7 つの隣国、6 つの共和国、5 つの民族、4 つの言語、3 つの宗教、2 つの文字で構成される1 つの国」に示される、複雑な国という印象ぐらいの知識しかありませんでした。

戦争により多くのものが破壊されてしまったことは知っていましたし、今でも内戦の傷跡は至る所で目にし、些細な民族のいざこざが、今でも大きな争いの火種になりうる複雑な事情を持った国々と言う事を知っていても、人々の笑顔や、美しいアドリア海のビーチリゾート 美しい湖、中世の町並みと山間の渓谷などを見ていると、同時期に同じ地球上で生きていた私ですが、想像力には限界があり、どれほど悲惨な出来事があったのかその事実を全くと言って分かっていなかったという事を思い知らされた旅でした。

旅行に出る前にいつも訪問する国の映画を観ることにしていますが、前回の旅行(キューバ)からの帰国から、時間がなかった為観ることが出来ませんでした。
ユーゴスラビアに行く前には是非 係りのある映画を観て置くべきだったと反省しました。
今回のツアーは参加者35名と多かったのですが、皆旅慣れた方達で、教えて頂くことも多く、とても雰囲気の良い旅でした。
又ツアーディレクターの尾内さんが、バルカン半島に非常に精通されていた為、長距離のバスの移動時間の間中 複雑なバルカン半島の歴史、事情を細かく説明して下さり、まるで「講師と廻る旅」の様で、とても価値のある旅になりました。
現地ガイドさん(英語)も付いて下さいましたが、悲惨な歴史を持ち、デリケートで複雑な事情を抱えている国々ですので、私達が本当に知りたい部分は説明できない事もあるようでしたので、ツアーディレクターに恵まれたことは幸運でした。

クラブツーリズム  悠久のバルカン半島6ヵ国周遊10日間  旅行期間2016年10月10日〜19日