バルカン半島の旅  アルバニア  ティラナ

6日目 前編 アルバニア ティラナ

モンテネグロノブドヴァからバスで約3時間 今回の旅 4ヵ国目の訪問国アルバニアに行きます。

アルバニア共和国 首都ティラナ
人口約300万人。古い時代のアルバニア人は、バルカン半島の古代民族イリュア人の子孫で旧ユーゴに多い南スラブ人とは異なります。4世紀末から東ローマ帝国、1478年からはオスマントルコの支配が続きました。1912年の独立宣言で近代のアルバニア君主制の独立国家が出来ますが、第二次世界大戦でイタリアが占領、イタリアへの抵抗運動としてホジャが率いる共産党が主導権を握り、大戦後、社会主義国家が発足。独裁者ホジャは徹底したスターリン主義を進め、国境の封鎖(鎖国)反対者、政治に反対するものへの抹殺,宗教弾圧(無主教化)なども行いました。政治路線の違いで次第にソ連や中後kとも絶縁、経済も混迷しました。1990年から経済開放や民主化路線に移行しました。しかし今でも長いオスマン帝国支配下で、イスラム教に改宗した人も多く、国内にはイスラム教信者が多くいます。

ティラナ
1478年にアルバニア王国がオスマン帝国に征服されて以降、キャラバンサライ(隊商宿)の交易路沿い地として発展しました。第一次バルカン戦争(1912年)にオスマン支配から脱却したアルバニアの首都(1929年)となりこれに伴い首都対応の都市計画が進行しました。しかし、第二次大戦後に社会主義国家になって、かつての議会や大聖堂オールドバザールなど、多くの由緒ある建物なども取り壊され、社会主義に適う構想アパート、博物館の建設が進む一都市インフラ整備が遅れました。労働党政権が倒れた1992年以降は、地方からの急速な人口増加が起こりました。

中心街に入るところに国旗の双頭の鷲 インパクト大です。
        
ティラナに着くと昼食時になりました。 今回の旅先ではどこでも新鮮な美味しい野菜が沢山出てきます。
先月旅したキューバでは、新鮮なお野菜があまりなかったので、よりありがたさを感じます。
メインは焼き加減も絶妙なチキンフィレを頂きました。
   
昼食後はティラナ市内観光です。
ベルリンから送られたベルリンの壁
        
トーチカ(丸天井の防御施設)
第二次世界大戦後の社会主義政権は、次第に他の社会主義国家とも相反していき、近隣.近接国からは孤立状態となります。この為、社会主義政権は他国からの侵略に備え、国内防衛の観点から、1976年よりたくさんのトーチカを構築、ホッジャ在任中50万以上も建設されたそうです。
        

        
社会主義時代の独裁者ホジャの公邸
        
旧エンヴァル・ホジャ博物館
1985年に死去したホジャですが、建築家であるホジャの娘が1988年にホジャの伝記に関する博物館としてこのピラミッドのような建物を建てました。しかし、社会主義政権崩壊後の1991年からはホールとして使用、さらにコソボ紛争の1999年にはNATO軍が使用しました。この建物は不評の為現在は使われていないそうです。
        
スカンデルべグ広場
スカンデルベグ広場はアルバニア共和国ティラナにある中央広場です。1968年に民族的英雄であるスカンデルベグの名を取って命名され、広場の中央にはスカンデルベグ像が建っています。
広場の周辺には国立歴史博物館、アルバニア銀行、イスラム寺院のジャーミアエトヘムベウトなど観光スポットも多く点在しています。
        
国立歴史博物館
        
スカンデルべグ騎乗像
スカンデルベク
スカンデルベク(1405-1468)は、本名をジェルジ・カストリオティといい、オスマン帝国支配下アルバニア軍司令官でした。しかし、民族意識に目覚めた彼は、1443年にイスラム教からキリスト教徒に戻って、オスマン帝国に反旗を翻し、3万の大軍を撃破してアルバニア独立を実現させました。1468年に他界しましたが、1480年にオスマン帝国に再併合されるまで、独立国としての地位を守り、オスマン帝国勢のヨーロッパ拡大を食い止めた民族的英雄。
        
ジャミーアエトへムべウト
ジャミーアエトへムべウトは、1793年に建造されました。小さなモスクですが、市内の最古のモスクです。入口にアラベスク模様が描かれ、内部にはオリジナルのフレスコ画が残っています。そばには時計塔も建っていました。
        

        
これからバスで約2時間30分 アルバニアでの次の観光地ベラートに向います。