明日からバルカン半島 (旧ユーゴスラビア)の旅に

キューバの旅の余韻も冷めないうちに 明日から「旧ユーゴスラビアの面影を訪ねて 悠久のバルカン半島」と言うツアーに参加します。

美しい自然から戦争の爪痕まで様々な姿を見せるバルカン半島は様々な民族、異文化の混在した魅力ある国々です。

多様な民族、宗教、文化が共存し、大国との間で翻弄され続けた悲しい歴史を持ち、つい最近まで紛争が続いていた地域です。
             今回巡る世界遺産(旅行会社のパンフットから)
ユーゴスラビアは、1946年以降の社会主義体制のもとで、6つの共和国で構成されていました。しかし、91年にそのうちの3つの共和国(クロアチアマケドニアスロベニア)が離脱し、さらに翌92年3月にはボスニア・ヘルツェゴビナ共和国が独立を宣言。残りの2つの共和国、セルビアモンテネグロは同年4月に統合してユーゴスラビア連邦共和国を成立させました。しかし2006年5月、最後まで残ったセルビア・モンテネグロ共和国も平和裏に分裂し、旧ユーゴは完全に解体しました

1991年 スロベニアマケドニアクロアチア独立
1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナ独立
2006年 セルビアモンテネグロ独立
2008年 コソボ独立(承認していない国もある。)
 
今回巡るところは、今では解体してしまった旧ユーゴスラビアの中の6ヵ国です。
クロアチアスロベニアモンテネグロは今回も廻ります)は以前旅したことがあるので、今回の旅で旧ユーゴスラビアをすべて廻ったことになります。
                      
                         今回の旅の行程
        

世界の火薬庫と言われるバルカン地方は、幾つもの民族が入り混じり、異民族が共に暮らしていた時代、民族間で戦争を繰り返していた時代など 複雑な経緯を得て現在に至っています。

特にサラエボ第一次世界大戦の引き金となった都市としても有名です。当時、ハプスブルグ家は、オーストリア=ハンガリー帝国を統治しており、スロベニアクロアチアボスニアなども支配下においていました。

1914年、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の次期継承者・フランツ・フェルディナント大公夫妻がサラエボを訪問中、セルビア人の青年によって狙撃、暗殺されます。その結果、ハプスブルグ家はセルビア政府に対し、宣戦布告を行い、第一次世界大戦が勃発します。
               ラテン橋 この橋の北端でご夫妻が暗殺されました。
        
この大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が滅亡すると、スロベニアクロアチアセルビアなどは新しい国家を目指し、ユーゴスラビアが誕生します。その後、台頭してきたドイツナチスに侵攻されると、領土の一部は分割され、イタリア、ハンガリーブルガリアなどにも引き渡されてしまいます。
その時、ドイツに抵抗していたのは、パルチザンユーゴスラビア共産党)を率いる後の大統領、チトーでした。

第二次世界大戦終結し、ドイツから解放されると、チトーは逃亡していた国王の帰国も拒否し、ユーゴスラビア連邦民共和国の成立を宣言しました。以来、チトーは1980年亡くなるまで、ユーゴスラビアの大統領として、この複雑な国を束ね統治しました。

ユーゴスラビアは共産圏国家でしたが、独自の社会主義路線を進めるとともに、ソ連からの圧力を跳ね付けるため、ヨーロッパでは5番目の強大な軍事力を持つ国となります。
一党独裁、強権政治、言論弾圧などで、40年間もこの国を支配しました。

ユーゴスラビアスロベニアクロアチアセルビアボスニア・ヘルツゴビナ、モンテネグロマケドニアの6つの共和国からなり、コソボ自治州、ヴォイヴォディナ社会主義自治州の2つの自治州を含んでいます。
        
ユーゴスラビアにはスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人という5つの民族が住み、その言語は、スロベニア語、セルビア語、クロアチア語マケドニア語の4つがあり、宗教はカトリック東方正教イスラム教の3つ。文字はラテン文字キリル文字などがあります。
日本よりも小さな国のなかに、異なる民族、宗教、言語がこれほど多く存在するのです。

チトー大統領の死後、各共和国は、各国が持つ種々の理由で隣の共和国に不満を募らせて行きます。
しだいに共産主義勢力の力が弱まると、共産主義一党独裁を放棄し、自由選挙により大統領が決められるようになります。
セルビアではミロシェビッチクロアチアではトゥジマンなど、強烈な民族主義政党が誕生しました。

そのような情勢の中、1991年、オーストリアやイタリアに隣接し、比較的経済力もあり、カトリックを主とするスロベニアユーゴスラビアから独立すると宣言しました。それに対し、ユーゴスラビア連邦軍は軍事的攻撃を行いましたが、わずか10日の戦闘後、スロベニアは独立を達成します。

その後、次々と国が独立を宣言する過程で、戦闘、略奪、虐殺、が日常的に繰り返されました。

2006年5月 セルビア・モンテネグロ共和国も平和裏に分裂し旧ユーゴは完全に解体しました。

2008年 コソボ独立(承認していない国もある。)

今回10日間で6ヵ国を巡る忙しい行程ですが、複雑な歴史を再確認出来る旅になりそうです、