バルカン半島の旅 セルビア ベオグラート後編
2日目 セルビア ベオグラート 聖サヴァ教会 チトーの墓
聖サヴァ教会
聖サヴァ教会は世界の正教会で最大級建物規模の教会です。
聖サヴァは、中世セルビア王国創始者の「ステファン・ネマニャ」の息子で、セルビア正教会の創立者です。彼の遺体は、セルビア南西部にあるミレシェヴァ修道院に納められていましたが、オスマン朝の支配時代にここベオグラードへ運ばれて、現在、教会が建つ場所で焼かれたと言われています。
1935年に建設工事が始まりましたが、大戦やコソボ紛争で遅れて、今も工事が続いていました。
チトーの墓チトーの墓は、旧市街を見下ろす市内の小高い丘の上 彼の邸宅があった場所に記念館は有ります。
チトーが名を高めたのは第2次世界大戦時からです。1943年にナチス・ドイツ軍に占領されると、当時、ユーゴスラビア共産党書記長だった彼は、パルチザン(人民解放軍)の総司令官になって武力抵抗を呼びかけ、ユーゴスラビアを解放に導きました。
多民族多言語多宗教のユーゴスラビア,後に『7つの国境,6つの共和国,5つの民族,4つの言語,3つの宗教,2つの文字,1つの国家』と言われた複雑な国を束ねたことで有名です。
経済の自由化を含む独自の社会主義路線を推進し、1953年 にユーゴスラビア連邦人民共和国を創設して大統領に就任。構成国のリーダとして「バルカン半島の星」などと讃えられました。しかし、彼の死後は、民族問題が噴き出し、独立を巡って各国間の紛争が繰り返され、連邦解体への道を歩むことになります。
奥には「花の館」と呼ばれるガラス張りになった温室のような建物があります。
チトーのお墓はその真ん中にあります。
彼のお墓にはいつも、バラが添えられ、訪れる人が絶えないといいます。
棺を取り巻く部屋には、螺鈿(らでん)の椅子や小机のある個室、友好国からの贈り物を公開している施設があり、贈り物の一部が展示公開されていました。各国の政界、芸能界等彼の交友関係の広さが分かります。
オリンピック聖火リレーのトーチ各種の展示室
チトーの存命中、オリンピックの聖火リレーのようなバトンリレーが民族融合のために何度も行われたとのことです。
木々に包まれた公園の中にチトーの銅像が建っています。
今でも国民に愛されているチトーです。