バルカン半島の旅 セルビア ベオグラート前編
2日目 セルビア ベオグラート カレメグダン要塞 空爆通り
昼食後はベオグラートに向います。
ベオグラート
べオグラートはセルビアの政治、経済、文化、学術の中心都市です。旧ユーゴスラビア時代では首都でもありました。人口は約200万人。ウィーンを通ってくるドナウ川と、スロべ二アの首都リャブリャナ、クロアチアの首都ザブレブを経由したサヴァ川が合流する地点です。ベオグラートは、スラブ語で白い街、白い要塞を意味します。古代から、西洋と東洋を繋ぐ主要な交易路の上にある重要な戦略拠点の位置にあり、現在までこの地での戦闘は140回に及ぶと言います。
この地は、ローマ帝国。東ローマ帝国、オスマン帝国、ハプスブルグ帝国など、歴史上の強国に支配され続け、第二次大戦ではナチスドイツの空爆も、連合国の空爆も受け、1999年のコソボ紛争では、NATOの空爆に寄り街は大きな打撃を受けました。
カレメグラン公園
サバ川とドナウ川の合流点を見渡す丘の上には、緑が多く美しいカレメグダン公園とベオグラードの要塞の廃墟があります。ローマ帝国が砦を築き、東ローマ帝国、セルビア王国,ハプスブルグ帝国、オスマン帝国などが増改築、破壊を繰り返しました。現在の姿が出来上がったのは、18世紀の終わりごろです。ローマ、スラブとオスマン時代からの特徴が見られます。
イスタンブール門
外壁や城門、トルコ風の温泉などが残っています。
堀には、第一次世界大戦以降に使われた戦車や大砲などが展覧されています。
要塞の最高点には記念碑があり、そこからの眺めは素晴らしい。カレメグダンという言葉はトルコ語で、「カレ」は「要塞」、「メグダン」は「戦闘」という意味です。
ウィクトール像(戦争勝利記念碑)
セルビアは第一次世界大戦に参戦し、戦勝国となりました。戦後10年の1928年にこの記念碑は建立されました。
ドナウ川の川幅は、ここから見えるよりは、もっと広く、中須の向こう側にも川幅があります。
一見、平穏なセルビアですが、国会議事堂の前の戦争によってなくなった人たちの顔写真や、空爆通りのNATO攻撃跡からも戦争の傷跡が見られます。
国会議事堂。
国会議事堂の前には、戦争で亡くなったセルビア人の写真が貼ってありました。
空爆道り
セルビアから独立宣言を行ったコソボに対し、翌日からセルビア軍のコソボ攻撃が始まりました。1999年にコソボ攻撃が激化し街の大部分が破壊され、セルビアによるコソボのアルバニア人村虐殺など多数発覚したため、NATOはベオグラード空爆を行ない街は大きな打撃を受けました。
ベオグラードの空爆は主要なクネズ・ミロシュ通り沿いにある政府系建物や国営放送などへ行われました。(通称:空爆通り)その後、セルビアは降伏しコソボより軍隊を撤退させたましたが、セルビアは未だにコソボの独立を認めていません。