バルカン半島の旅  マケドニア  オフリド

7日目
今日も国境越え。5ヵ国目の訪問国マケドニアに向います。
朝ホテルを出発。バスで約4時間のマケドニアオフリドを目指します。

マケドニア共和国  首都スコピエ 
通称マケドニアは、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。前身はユーゴスラビア連邦の構成国の1つで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと、四方を外国に囲まれた内陸国です。マケドニア共和国は、地理的にはマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあり、マケドニア共和国マケドニア地域全体の約4割を占めています。残りの約5割はギリシャに、約1割はブルガリアに属しています。また歴史上、マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していたと考えられる古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はありません。これらの理由から、ギリシャマケドニアという国名を拒否し、同国との間で激しい国名論争(マケドニア呼称問題)が生じています。

日本との関係
日本は、1993年12月にマケドニアを「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の名称で国家承認し、1994年3月に外交関係を樹立。マケドニアの首都スコピエに名誉領事館を置きました。

マケドニア入る手前 いくつものトーチカが残されていました。
        
オフリド古代湖(10万年以上存続)の一つであるオフリド湖畔に位置。9世紀後半には聖ナウルや聖クリメントの布教で、異教徒侵入で衰退していたキリスト教進行を再興、教会中心地の一つとして栄えました。西暦990年〜1015年の間第一次ブルガリア帝国の首都、要塞の街となり、ブルガリア総主教座がおかれていました。現在も首都スコピエと共にマケドニア正教会大主教座が置かれています。ブルガリアノ後、東ローマ帝国セルビア王国などに支配され、14世紀終わりにはオスマン帝国が占領、1912年迄支配下にありました。市内に現存するほぼすべての教会はブルガリア帝国東ローマ帝国時代に建てられ、残りはセルビア王国時代の物だそうです.オフリド市街とオフリド湖は、1979年に一体として世界遺産に登録されました。
        

        

        
朝ホテルを出発して、オフリドに着いたのは12時30分。観光の前に早速昼食です。
オフリド湖ではマスやウナギなどが上がります。メインはマス料理でした。
   
ローマ時代の円形劇場
修復された古典劇場は現在も夏を中心に使用されています。円形のアリーナ席の下には古代の石積みが残されていて歴史を感じさせます。
        
サミュエル要塞(ゴルニ・サライ
オフリド湖オフリドの町を360度の視野で見下ろせる場所としてサミュエル要塞があります。この要塞はこの地を首都とした第一次ブルガリア帝国皇帝サミュエルの名を持ちますが、古代から発展していた、ローマへの通り道でもあったオフリドには、それ以前から要塞があったといわれています。現在、町を見下ろせる外壁は、古い要塞の上に建てた新しい要塞を修復したものです。
        

        

        

        
聖パンテレイモン教会
オフリド湖の方を見ると、最近修復された聖パンテレイモン教会が見えます。この教会はオフリドの最古の教会です。昔、この教会には聖クレメント司教の骸骨が埋まれていましたが、修復する前に聖ソフィア教会へ移されました。
        
ヨハネ・カネオ教会
ヨハネ・カネオ教会は、マケドニア正教会で1447年より前に創建されたそうです。カネオとは、ラテン語で湖の波がキラキラと光っている状態のことを言うそうですが、湖の岬のこの教会はまさにその名の通り。
建物はギリシア正十字型の平面構成をとり、アルメニアの建築様式の影響が見られます。しかし、500年以上のオスマン・トルコの支配時代があった為、教会は何世紀も放置されたらしく、内部の古いフレスコ画などの保存状態は非常に悪いそうです。
        
観光後バスで約3時間 宿泊地スコピエへ向かいます。
スコピエではホテル カルポシュ