長男の告白本・ 朝鮮学校を見学した頃の記憶

金正日総書記の長男、北朝鮮の権力世襲を批判―今この告白本出版のことが話題になっています。
本のタイトルは「父・金正日と私 金正男独占告白」。昨年12月に死去した北朝鮮金正日の長男・正男と、東京新聞の五味洋治編集委員との対話録です。

本に出てくる正男氏の「告白」は強烈な内容で、正男氏は今までも北朝鮮を統治してきた「金ファミリー」の中の厄介者として知られていますが、この本も北朝鮮にとっては厄介な物になるでしょう。

本には次の内容が書かれているようです。
*「祖父(金日成)に容貌だけ似ている正恩が、どれだけ人々を満足させられるか、心配だ。

*絶対権力を、(後継教育が)2年ほどの若い世襲後継者が、どう受け継いでいけるか疑問。

*3代世襲については「物笑いの対象」「社会主義理念にも符合しない」「中国の毛沢東主席でさえ  世襲はなかった」と痛烈に批判。

*自分が父から遠ざけられた理由は「9年間のスイス留学後に私が完全な資本主義青年に成長して、北朝鮮に帰った時から、父上は私を警戒した」と記し。中国式の経済政策の「改革・開放」や、核実験、ミサイル発射実験に対する国際社会の憂慮を直言するたび、父の怒りを買ったと告白。

拉致問題については「両側(北朝鮮と日本)の主張が今のようにするどく対抗する状況では、解決策がそんなに簡単とは思えない」、

*核開発も「北朝鮮のように地政学的に敏感な場所にある生存危機を感じている国が、核を放棄するのは簡単ではない」と語る。

*いっぽうで、日本を襲った大震災と原発事故には、「苦痛を味わっている日本の
住民たちがただ心配です」と気遣う。さらに「原発は地球生態系のために良くない」と、脱原発まで主張。

兄弟でも、親を離れ外から自分の国を客観的に見ることが出来た長男と、境遇が違う3男とでは物の考え方、見方が異なってくるのですね。今まで私には放蕩息子のイメージしかなかった長男ですが、このようなことを考えていた一面を今回知りました。(もっとも、聞き手の引き出し方にも寄るとは思いますが)
          

ふと東京の朝鮮学校を見学した日のことを思い出しました。

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45年まえ高校生だった私は、友人と東京の十条にある朝鮮学校の文化祭(友好会だったかも)に行きました。

1948年8月15日にアメリカ軍政地域単独で大韓民国が樹立され、これに対して同年9月9日に
朝鮮民主主義人民共和国が成立し、朝鮮半島は分裂しました。

朝鮮人」は「朝鮮半島出身の人」という客観的な意味だけでなく、相手を貶めて用いられた歴史が日本にはありました。日本人が言った暴言のことを聞いて知っていたので、申し訳ない気持ち、負い目から、私は長い間、アメリカ人 フランス人 と言うようには、 韓国人、朝鮮人、とは言えず、韓国の人、朝鮮の人と丁寧に言っていたのを記憶しています。

私の通う高校の近くある大学の日本人の大学生が朝鮮学校の校章を付けて、刑事事件を起こした卑劣なことがありました。

そのようなこともあり、友好を深めなくてはいけないという気持ちもあり、朝鮮学校に見学に行ったのだと思います。

何よりも未知の国の学校教育がどのようなものなのか興味津々だったのかもしれません。

朝鮮学校の中に入ると、
各教室には、金日成(昨年亡くなった故金正日の父)の大きな肖像写真が掲げてありました。

記憶に残っているのは、教育方針の説明の一例であげられた 理科の時間の実験、例えばカエルの解剖など実験は男女別にさせる。なぜなら一緒にすると、男子に実験を任せがちになるからですと聞かされたことです。これにはなるほどなと感心しました。

最も記憶にあるのは、かん高い声で歌われた歌の数々です。なぜか今でも耳に残っています。

朝鮮学校と言うと北朝鮮の学校と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、日本にある朝鮮学校は南北に関係なく在日韓国、朝鮮人の民族教育の場のようです。金日成の肖像や(現在では金日成、正日の両方が掲げてあるでしょうが)人共旗(北朝鮮の旗)があり、少々異様には感じましたが、反日的な教育をしているわけでもなく、日本の学校と同じ普通の学校です。

当時は北朝鮮がどのような国なのか報道も殆どありませんでした。遠い記憶なので定かではないのですが、報道が少ない中、当時日本のマスコミや左翼系知識人の中には北朝鮮を「地上の楽園」と賞賛していた人もいたのです。実際1950年代からその楽園に帰してあげようと朝鮮総連が推進し「帰還事業」は始まり、日本赤十字社北朝鮮赤十字団体が「人道的事業」として在日朝鮮人北朝鮮帰還の実務を行い、結果1984年までに合計約93,000人以上の在日(朝鮮人)と日本人妻が北朝鮮に渡りました。そして、地上の楽園と信じ渡った人は二度と北朝鮮から出ることは出来なかったのです。

正しい情報が得られる 得るというのはとても大切なことです。
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金正日総書記の死去は平和のための歴史的チャンスとだと思っていたのですが・・・。

昨年12月17日 金正日が亡くなった時に日本政府がどのように動くのか期待をしていました。
しかし、危機管理能力、交渉能力に欠ける日本政府の姿勢には不安と怒りを感じました。

拉致被害者への対応も今どうなっているのか見えてきません。
一刻も早く帰国できるように積極的な交渉をしてほしいと願うばかりです。

この長男の「告白本」が、北朝鮮が変わるほんの少しの力にでもなればよいのですが・・・。