古い伊万里の大鉢

金子みすゞ記念館の台所の復元をみて、家にある古いお鉢のことを思い出しました。

下の写真は古い伊万里のお鉢です。古伊万里とは「江戸時代に焼かれた伊万里焼き」を指しますが、もっと狭く「初期伊万里の後、寛永あたりから上手物(じょうてもの)の輸出が盛んだった享保まで」という意見もあります。
最近では明治初期のものまででも古伊万里と呼んでいる場合もあるようです。
(我が家にある古い伊万里は正確には古伊万里とは呼べないと思っています。)

染付牡丹唐草文大鉢       径30㎝高さ15㎝

優しい色と柄です。果物を入れても、ワインクーラーに使っても素敵です。水をはりお花を浮かべると涼しげです。            

          

          

          

裏を見ると銘款があります。銘款でおおよその作られた時代が分かります。
銘款が入るようになったのは1630年代からです。示す編の「福」の字を二重方形枠内に書いた物や、「大明」「大明成化年製」などが使われるようになります。その後作品も多様化し,銘款の種類も増え書体も様々な変遷が見られます。

          
1670年代〜80年代には、草書体の「福」字銘が現れます。このころから福の田の部分が渦をき始めます。当初は一重か二重でしたが、下写真の一番左の1690年〜1710年代の銘款になると渦が三重になり典型的な通称「渦福」が出来上がります。左2番目から4番目は流行するにつれて変容していく過程がわかります。書き方が粗雑になり渦が四重にまで増えます。4番目は1750年〜1780年代の物ですが書体が崩れすぎ原字が分からなくなります。渦を巻くタイプの「福」の字銘としては最終段階になります。
          1690年〜  1710年〜  1730年〜  1750年〜  1600年〜
          

             1770年〜     1750年〜1780年    1780年
          


この大鉢の形は丸みのある器形ではなく、ラッパ状に広がっています。文化〜文政期の時代の鉢の独特の形状であるとも言われています。ですが、文化・文政期は1804年〜1829年ですので銘款と合わせ考えると、このお鉢は文化文政の早い時期かそれより少し前、およそ1800年ぐらいのものだと思っています。

この器が出来た時代は町人文化が発達し、政治・社会の出来事や日常の生活を風刺する川柳が流行し、文学では、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のように、庶民生活を面白おかしく描いた、滑稽な作り話が好まれた時代です。

この様な時代のものが身近にあるって夢がありますね。

他にも沢山のお鉢があります。又おいおいご紹介いたします。