フィリピンの旅 マクタン島
4日目後編
橋を渡るとマクタン島
マクタン島は、フィリピン中部セブ州にある島です。セブ島の東海岸、セブ市の沖合い数キロのところにあり、
セブ本島とは橋でつながっています。
島はラプ=ラプ市とコルドヴァ町の二つの自治体に分かれています。
マクタン島は風光明媚で風通しがよく、「セブ・リゾート」とはここマクタン島を指す場合が多く、外国からの移住者も多くいます。
そして、この島は「マクタン島の戦い」の歴史がありマゼラン終焉の地として有名です。
マゼランはフィリピンにたどりつくと、鎧と槍、火縄銃、大砲などの武器の威力を背景に部族長たちに対してスペイン王への朝貢とキリスト教に改宗したセブ王への服従ならびにキリスト教への改宗を要求。部族長を次々と服従させていきましたが、マゼランの要求を初めて拒否したのがラプ=ラプでした。マゼランは激怒し、ラプ=ラプを討つべく兵をひきいてマクタン島へやってきました。1521年4月27日のことです。島の地理と潮汐を知り尽くしたラプ=ラプは、綿密な情報収集と周到な計画をたてこのマクタン島の遠浅の海岸を決戦地に選んでいました。干潮のため、船で岸に近づけなかったマゼランとその部隊は艦砲射撃をあきらめ上陸。
抵抗勢力を結集して待ち構えていたラプ=ラプの軍勢と戦闘状態に入りました。ラプ=ラプたちは甲冑で身を固めたスペイン兵の足だけが無防備なことを見抜くなど、巧みな戦術によってマゼラン軍を破り、ついにマゼランを殺害しました。リーダーを失ったマゼランの配下たちは退却していきました。
ラブラブ像とマゼラン記念碑
マゼラン記念碑の近くには当時の戦闘の様子を描いた壁画があります。
ラプラプ像
ラプラプ像はこの景色を見て立っています
昼食はスペイン料理
早めにホテルにチェックインし、プライベートビーチでゆっくりと時間を過ごしました。
毎回食べ過ぎた為夕食は抜きました。
何と言ってもフィリピンで一番気に入ったのはマンゴー。お食事ごとにマンゴーのフレッシュジュースを頂きました。
5日目
いよいよフィリピンともお別れです。セブからマニラにそして飛行機を乗り継いで羽田に向かいます。
セブではまたまた飛行機の出発が大幅に遅れました。フィリピンではよくある事のようです。
フィリピン事情
ガイドさんに注意された「オレオレ詐欺」
セブのガイドさんから部屋にガイドやスタッフを名乗る電話がありその内容が、「ガイドの身内が事故または病気で急にお金が必要になったので数万円を貸して欲しい」等というものだったら、それはオレオレ詐欺ですので金を絶対に渡さず、担当旅行会社の責任者やホテルスタッフにご相談くださいと言われました。
日本人をターゲットとした「オレオレ詐欺」が流行っているそうです。
又フィリピンの空港職員はチップを要求する人もいるようです。偽の空港職員が1割もいるらしい。
フィリピンの物価は日本の4分の1、平均月収は4万5000円。 フィリピンの世帯構成人数は4.6人。子供も含まれているので1世帯当たりの収入は1人あたり日本の24分の1、生活の大変さは実に日本の6倍という事になります。これらの計算には年金や国民健康保険など(フィリピンには年金はほんの少しあるものの、国民健康保険はない)を含む社会保障は加味していないので、実際はより過酷な生活実態です。
驚いたことはそのようなフィリピンのガソリンの値段が日本とあまり変わりなかった事。
なか3日という短い旅行でしたが、その短い時間の中でも貧富の差が激しい国だと言う事をいやというほど実感させられました。世界中で二極化がますます進んでいるという現実がありますが、幼い子供の路上生活や、わずかなお金を稼がなくてはならない為に学校に行けない等と言う事は絶対に避けなくてはいけない事だと思います。
今回はクラブツーリズムのツアーに申し込んだのですが、参加者が他におらず結果的に個人旅行のようにな
ました。 たまにはこのような旅も良いものです。
羽田発着全日空ビジネスクラスで行くフィリピン4島めぐり5日間