野村 望東尼  平尾山荘

野村望東尼の名を知ったのは、半年前に福岡県の平尾浄水町に来てからでした。

家から歩いて5分ほどの所に、その一角だけ独特な静寂に包まれている小さな公園があります。

胸像と碑から、かつてここに幕末の国情に心を痛めた一人の女性野口望東尼が住んでいたことを知りました。

山荘は高杉晋作平野国臣ら藩内外の志士がひそかに集まり話し合う場所となりました。
望東尼は志士たちを励まし、この山荘にかくまったのです。

慶応元年(1865年)6月、福岡藩で、尊攘派弾圧の動きが強くなり、孫の野村助作と共に自宅に幽閉され、10月に姫島(現・福岡県糸島市志摩姫島)へ流されましたが、翌2年(1866年)9月、晋作の指揮により福岡脱藩志士・藤四郎、多田荘蔵らが姫島から脱出することが出来ました。

晋作は亡くなるとき死の底で「おもしろきこともなき世をおもしろく」と言い力尽きたそうです。
望東尼が「すみなすものは 心なりけり」と付け加えると、晋作は「面白いのう」と言い息を引き取ったそうです。 
   
おもしろきこともなき世をおもしろく  すみなすものは心なりけり

心にとめておきたい句です。 散歩の途中この道を通る度に、この句を想い出します。