インドに「日本品質の街」輸出…大規模都市開発

このようなニュースが流れていましたが

日本政府は、官民一体のインフラ(社会基盤)輸出として、インド南部のチェンナイ近郊で、大規模な都市開発を行う方針だ。

中小企業向けの工業団地と、日本人好みのショッピングセンターや病院なども併設した5万人が生活できる街をまるごと「輸出」する。
政府の新成長戦略に基づくインフラ輸出で、都市開発事業が具体化するのは初めて。枝野経済産業相が10日、チェンナイを訪問し、州政府に支援要請する。

みずほコーポレート銀行とプラント大手の日揮が現地開発会社に計40億円を出資する計画だ。工業団地は2・3平方キロ・メートルで今夏から販売を始め、2013年に進出工場の稼働を予定している。

併設される居住地区は2平方キロ・メートルで、インド洋を望む高級マンション群が中心の「リゾート都市」を13年以降、順次開発する。日系のショッピングセンターやゴルフ場、日本人医師が常駐する病院なども整備する計画だ。日本人駐在員が家族で暮らせる高品質な街づくりを目指す。
(2012年1月5日14時35分 読売新聞)

最近日本語すら時々理解しにくくなくなった私。インドに日本人町をつくるって事?しかもお金持ち用に?訳の分からない計画ですが、いやに具体性を持っています。
今 もっと早急にやるべき事があるのに、ひょとしてこれが早急にやらなければならない事なの?唐突に持ち上がった話に戸惑いを感じています。

その一方で昨日のこのニュース    ちょうど今テレビで報道しています。

福島・二本松市の新築マンションから、比較的高い放射線量が確認され、二本松市は、コンクリート放射性物質が混入していたとみて、調査を進めている。

福島・二本松市の三保恵一市長は「(マンションに)放射線核種により、汚染されたと考えられる材料が使用されたものと、推定されるところです」と述べた。

高い放射線量が確認されたのは、二本松市で2011年7月に建設されたマンション。

二本松市によると、マンション1階の室内から、毎時1.16〜1.24マイクロシーベルト(μSv)の線量が確認された。1階に住む住人は「ちょっと、えっ、なんで? みたいな、びっくりはしたんですけども。移動(引っ越し)しようと、うちは考えてはいます、今のところは」と話した。

マンションのコンクリートには、計画的避難区域浪江町で採取した石が使われていたという。

二本松市では、施工業者や採石業者から聴き取りを行うとともに、同じ資材で建設された建物などがないか、調査を進めるとしている。
(01/15 18:02 )

そう言えば昨年9月にはこんなことも報道されていましたっけ。
首都圏で汚染灰既に埋め立て〜一部セメントとして出荷

以前から懸念している学者もおられたましたが、多かれ少なかれ今後日本では、新しく作られる建物、道路から放射能が検出されることもあるでしょう。

インドに新しい日本人街をつくるより先に、被災地の方や、庶民の生活を守ってほしいと願わずにはいられません。 

ところでチェンナイとはどんな所なのでしょう。
          
南インドの東側コロマンデル海岸沿いの、ベンガル湾に面するタミル・ナードゥ州の州都。インド有数の世界都市。人口約6百万人強で、インド第5の都市である。2010年の都市的地域の人口では754万人であり、世界第36位、同国では第4位である[2]。 1996年に正式にマドラスMadras)から改名された。「南インドの玄関口」「南アジアのデトロイト」「インドの健康首都」「インド銀行業の首都」の異名を持つ。自動車産業、情報技術産業、ビジネス・プロセス・アウトソーシング業が盛んである。 
この様な場所らしい・・・・・です。

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2007年12月に旅したインドは私の想像をはるかに超えた国でした。
貧富の差は非常に大きく、牛以下に考えられてるのかと思われる人人も沢山目にしました。
カーストによる差別は禁止されたものの、ガイドさん曰く、階層で「住む地区も、顔も、においも全て違う」って。ガイドしてくれた方は大学の教授もしていて、安部元総理を案内した経験があるという方だったので、多分カーストを肯定する階層の人らしく、埃だらけで道路の工事で働いている人などのことを説明する時も、このような仕事をする人も必要だからって。

早朝のガンジス川(ガートと呼ばれる沐浴場)
          

夜のガンジス川はお祭りのよう

「死ぬ」と言うことは、輪廻転生を信じるインド人にあっては、「生まれ変わり」なのです。
死後、近くの火葬場で焼かれて、その灰がガンジス川に流されます。
ヒンドゥー教徒にとっては最高な幸せなのです。(もちろん全てのインド人の考えではありません。)
          
火葬の赤々と燃える炎が見えました。写真撮影は禁止です。
          

野良牛?が歩きまわっていて糞だらけの道もあります
          

          

          

一方で宿泊したニューデリーヒルトンホテルは、日本にあるヒルトンホテルよりはるかに素晴らしく、宿泊したことのある世界のヒルトンの中でも豪華でした。
インドには近代的な素晴らしい建物や施設などが沢山あるのも現実です。
          

ガンディーが亡くなった北インド ニューデリー市内にあるガンディー・スムリティ博物館。
ここはかつてガンディーが住んでいた場所でもあり、裏庭は1948年1月30日 インド独立を果たしたわずか半年後ガンディーが、ヒンドゥー教原理主義者の凶弾に倒れた場所です。ガンディーの寝室から暗殺場所までの足取りが石膏で形どられ足型が残っていました。
          

旅した2007年の時点でも、インドの医療のレベルは素晴らしいものだと言われていましたが、霧で飛行機が飛ばなかったり、列車は大幅に遅れたり、日本人の尺度では戸惑う人もいると思われる国でした。健康な人でないと、インドの旅の途中で病気になったら、世界レベルの病院まで辿りつく交通手段が大変だなと感じました。

旅したグループ15人のうち8人が旅行中体調不良になり、旅行中は元気だった私や帰国後連絡を頂いた方も、埃を吸った為か旅の後1か月近く咳に悩まされました。

それでも、実はもう一度行ってみたい国でもあります。

最後にガンディーの言葉
「Where there is love, there is life; hatred leads to destruction.」
  (愛あるところに人生があり、憎しみは破壊に通じる)
政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与え、このような素晴らしい言葉を残しているガンディーなのですが・・・・・

ガンディー自身はカーストヒンドゥー出身であり、カーストヒンドゥー社会を守るために、カースト制廃止には反対したのも事実です。