日本一長い恵方巻き

店頭では可愛くパッケージされた大豆や鬼の面がならび、2月3日の節分に向け恵方巻きの予約受付がたけなわです。

折しも 鹿児島県で節分に先駆け日本一長い恵方巻き作りに450人が挑戦。122m16㎝の 
日本一長い恵方巻きが完成したとTVで紹介されました。
             
今年の恵方は北微西(北北西の少し北寄り)だそうです。

恵方巻き寿司にあやかって、最近では沢山の長いロール状の食品が節分用に販売されています。
 江崎グリコ(大阪)が販売する「かぶりつきコロン」
 和菓子店「宗家源吉兆庵」(東京)の「吉方巻き」
 ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの「恵方ロール」
 日本橋高島屋(東京)の「フルーツパーラーレモン」7種類の果物を入れ「フルーツ恵方ロール」      身近な福岡でもロールケーキ等々。

又、節分にいわしを食べる習慣から、最近では量販店では節分前に「いわし缶詰」の売り場を拡大し積極的な拡売をしているところが多いそうで、例年節分前1週間のいわし缶詰の売上は年間を通じてほぼ最高の売上を記録しているとのことです。

そして、最近では大豆だけではなく落花生も売られている所が多くなったようですが、殻付き落花生をまく地方は、北海道、東北、信越地方ではおよそ8割以上の方が落花生を使っているらしいのです。九州(特に鹿児島県と宮崎県)でも3割程度の方が落花生を撒くらしいという事が分かりました。

こんな時代だからこそ邪気や災厄を払う伝統行事の意味を知ったうえで、いろいろなお味で厄を払うのも良いのかもしれません。

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私が恵方巻きを知ったのは24歳の時に関西に住むようになってからです。
東京では恵方巻きを食べたことがありませんでしたし、恵方巻きの存在も知りませんでした。

節分の日には家中をきれに掃き清め、夕食を済ませ、一升ますに入れた煎った豆を、父が「鬼は外、福は内」と言いながらまき、それを夢中になって拾いました。そして、年齢の数だけ豆を食べるのです。そうすることで邪気を追い払い、病気にもならない、との言い伝えを聞き、豆を食べました。お正月とは違い、節分は特別の料理を食べた記憶はありません。もしかしたらイワシは食べたかも知れませんが、特別なご馳走ではなかったので記憶にないのかもしれません。
「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまく非日常のことが面白く、神聖な気持ちになったのを覚えています。

どの地方にもあったようですが、イワシの頭とヒイラギを戸口に挿すというのも、関西で初めて目にしました。 「鰯の頭も信心から」と言う言葉は節分に由来すると言われています。
出典は「日本永代蔵」、俳諧毛吹草(けふきぐさ) という古典です。
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恵方巻きを知らなかった、それもそのはず 
発祥は関西だそうです。

現在の恵方巻の起源は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったといわれています。当時使われていた旧暦では、立春の前日である節分の日は大晦日にあたり前年の災いを払うための厄落とし、年越しの行事として行われたそうです。
また豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もあります。

恵方巻の習慣は明治時代に一旦廃れたのですが、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事で復活することとなったのです。さすが大阪ですね。

今では日本中で恵方巻きを食べる習慣が定着しました。

恵方巻きは節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり商売繁盛や無病息災を願います。何はともあれ、日本中で多くの人が同じように食べる姿を想像すると、何だか微笑ましく楽しく思えます。

同じ願いが大きな力になり日本の厄を落としてくれると良いですね。