福岡城は梅が満開 

春の陽気に誘われて、昨日福岡城に行って参りました。梅が満開でした。

福岡城は初代福岡藩黒田長政が慶長6(1601)年から築城し、江戸時代264年の間、黒田氏の居城として偉容を誇りました。築城の際に、福崎を黒田家再興の地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めました。

名島門
この門は福岡藩初代藩主・黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田二十四騎の一人である林掃部(はやしかもん)に下げ渡され、邸宅の門として使用されていました。
名島城の建物や石垣は福岡城築城の際に再利用されましたが、この名島門は名島城の数少ない遺構の一つです。。
この日は福岡県では卒業式が多く、名島門付近では卒業式を終えた生徒が名残惜しそうにおしゃべりをしていました。

          

満開の梅
今年は開花が遅くしかも長い間楽しむことが出来ます。ここでも満開の梅を見ることが出来ました。見る場所によって違った美しさを見せてくれます。

石垣と梅  格別な趣がありますね

          

          

          
穏やかな春、美しい梅を見ながら、急に福島のことを思い出して、こうしていることが申し
訳ない気持ちと、あの東北の美しい自然を浮かべて やりきれない気持ちになりました。

          

梅の木の下でお弁当を広げている楽しそうなグループ。
          

鉄御門跡
鉄御門跡の階段を登って行くと福岡城天守台跡がありました。

          

天守台跡
この天守台跡からは、福岡市内360度が一望できます。天守閣の有無については議論がされていますが、もしも天守閣が存在していたとしたら、素晴らしかったに違いないと想像しながら福岡の町を一望しました。

          

          

多聞櫓
福岡城』で江戸時代から城内に残っている数少ない建築物の『多門櫓』です。(国の重要文化財
櫓は、南西隅にある二重二階切妻造り隅櫓と、それに連接して桁行三十間分続く平櫓である。建築年代は明らかではない。一部には近世初期に遡ると思われる部材を用いているが、ほとんどが後世の改修を受け、平櫓は嘉永六年(1853)から翌七年にかけて立て替えられている。
 一般に多聞櫓は防衛のための長塀であり、平素は倉庫等に利用していたものといわれている。部屋の内部は突き抜けの状態が普通とされているが、この多聞櫓は十六の小部屋に独立しており、石落しのみで城外をみる窓がない部屋もある。
 また建物の軒先を支えている万杖と端隠し板で垂木口を隠す工法は福岡城の特徴とされ、古式を留めた城郭建築の美しさを備えている。

近くで見ると傷みが目立ちました。いつまでも残ってほしいと願うばかりです。 

          

多聞櫓(下から)
石垣はそれまでの居城であった名島城のみでなく、鴻臚館跡や元寇防塁の石材も使われているようです。この石垣の積み方 どのように組み合わせていったのか暫く眺めてしまいました。 

          

福岡城の敷地は想像以上に広大でした。別名舞鶴城の他に,「石城」と呼ばれているほど石垣が素晴らしいと言われているので、石垣積みの名人が手掛けた様々な石垣の表情を観てこようと思ったのですが、一度にゆっくり見るのには広すぎました。


思いもかけず、満開の梅を見ることが出来た 穏やかな春の1日でした。