孫文の碑

桜坂の金毘羅神社をさらに上の方に進んでみました。結構きつい上り坂が続きます。金毘羅神社の敷地だと思って登っていたのですが、頂上付近に何故か「中山(孫文)記念碑」が建っていました。(そこは金毘羅神社ではなく、南公園の一部だったことを後で知りました。)

          

この碑を見てから再び金毘羅神社に戻り,南福寺の方に金毘羅様とのつながりを伺おうと思っていましたら、お彼岸のことで南福寺にお手伝いに来ていらした人が「孫文の碑を見ましたか?」と声をかけて下さいました。孫文について、よく御存じの方のようで、昨年2011年の辛亥革命100周年が長崎で行われた式典?にも出席されたようでした。そこに孫文に資金援助した梅屋庄吉のお孫さんも来ていらしたことや、援助の金額も今のお金だと1兆円の支援だと思っていたけれど、2兆円も支援したそうですと教えてくださいました。     え〜2!  2兆円!

そう言えば何年か前に東京で「孫文梅屋庄吉」と言う 長崎出身の実業家で日活の創始者梅屋庄吉孫文の心温まる交流の劇を観たことを思いだしました。

          
中国辛亥革命を主導した孫文は世界中を遊説して廻り各地の華僑から革命資金援助を受けましたが、日本へも何度も訪れ、福岡にも滞在したそうです。福岡の政治結社玄洋社(げんようしゃ)」や、筑豊地方の炭鉱経営者たちが、孫文を経済的に支援したとのことで、福岡とも縁が深いそうです。

南公園の記念碑は昭和40年、彼の生誕100年を記念し、地元の華僑や有志によって建てられたようです。

孫文は革命活動中清国政府から逃れるため、日本滞在中には「中山:なかやま」の名を手紙などに使っていて、それが今でも中国各地の公園や道路の名前に残っています。

福岡にいた頃の孫文は、何度かこの大休山の展望台に上がって来て、ここから福岡市内を見ていたといいます。この碑の向いている方向が中国とのことです。
孫文の碑を見たときはそのことを知らなかったので、もう一度そのことを踏まえ
碑の前にたってみたいと思いました。
    
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2001年に台湾に行った時に中山記念に立ち寄りました。約25万平方mという広大な敷地のなかには、巨大な「紀念堂」と世界に誇る文化の殿堂「国家戯劇院」・「国家音楽廰」がありました。記念堂の八角形の屋根はエナメル塗装の青い瓦で、白壁は大理石を積み上げたもの、何しろ そのスケールの大きさに驚いたことを今でも覚えています。