江戸時代の蛸唐草のお皿
昨日スイスチャードを盛り付けたお皿は江戸時代の蛸唐草文様のお皿です。
唐草文様はとても人気のある文様です。蛸唐草は男性に、花唐草は女性に好まれるようです。
「唐草」は、実在する草花ではなく、植物の茎や蔓がからみあい連続する植物文様で、人間が理想とする草花の姿を表しています。
この文様は古代ギリシャ・ローマあるいは中近東のペルシャあたりの「アラベスク」がルーツといわれ、シルクロードを旅して中国に伝わり、やがて日本に到着したと言われています。「葡萄」など「蔓」の有る植物に、昔の人は生命の連続性・永劫性への憧れを、ある種お守りのようにして、身の回り品などにそのモチーフを応用させました。
蛸唐草文様は古い伊万里に多く見られ、蔓の部分がちょうど蛸の足のように見えることから付けられた俗称です。
径24㎝ 高さ2,8cm
このお皿の蛸唐草は一本線でかかれています。見込みは松竹梅です。
裏面の唐草は二重線の中をダミで塗りつぶしてあります。
白い素地に呉須(藍色の顔料)で絵付をすることを染付と言います。染付の時に線描きした中を太い筆を使って薄い呉須で面 を塗ることをダミと言います。
お皿の裏に穴のような跡が見えますが、これは傷ではありません。目跡です。
目跡(めあと)とは江戸時代の承応頃くらいからそれまで小さかった高台は口径の二分の一くらいになり、高台内の焼けくずれを防ぐためハリ支えするようになります。そのハリの跡を目跡と呼びます。
承応(じょうおう)は、日本の元号の一つ。慶安の後、明暦の前。1652年から1654年までの期間を指す。この時代の天皇は後光明天皇、後西天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。
裏の銘に「大明成化年製」と書かれています。このように銘を入れるのは中国磁器の影響で1630年代ごろに入れられ始めています。現在のように窯元の名を入れるようになったのは19世紀後半以降の事です。それまでは中国磁器を意識して装飾として入れていました。
銘は中国の物をまねしたものの、時代により変遷があるので、時代を見分ける重要な要素の一つでもあります。大明の銘は中国の明朝の国号で、伊万里が手本とした明末の中国磁器に大明・・・・と入っていたのをまねして入れたのです。
大明嘉靖年製と書かれているものと太明になっているものがありますね。
本当は大とするところを太と間違えたのです。次第に両者は混同され用いられるようになります。
1690年〜 1700年〜1730年代 1690年〜 1710年〜
大明成化年製の銘款は江戸時代を通して最も良く使われた銘です。17世紀から19世紀まで長く使われました。
下の写真は銘款の年代別の特徴を紹介した物ですが、なかなか自分の持っているものと同じものを探すことは出来ません。
家には蛸唐草文様の5寸皿もあります。7寸皿をプレースプレートとして使うと、和風からがらりと変わり、洋風のコーディネートになります。
この伊万里の蛸唐草文様の7寸皿は1700年代の中頃の物だと思っています。
この頃の出来事
1707年−富士山噴火、宝永山ができる。
1730年−享保の飢饉
1760年 - 徳川家治が江戸幕府第10代将軍となる
1762年 - ロシアで女帝エカチェリーナ2世が即位
1767年 - 田沼意次が側用人になる。「田沼時代」の始まり 。
1775年 - アメリカ独立戦争。
1776年 - 7月4日、アメリカ独立宣言が採択される。
1781年 - 清で乾隆帝の命による四庫全書完成する。
1782年〜1788年 -天明の大飢饉。
様々な用途に使える便利なお皿です。