根付

東京での散歩コースだった野川で、数匹のカメが甲羅干しをしているのを見た と散歩のお仲間からお電話を頂きました。

そこで、ふと 家にある亀の根付の事を思い出しました

写真の根付は20年以上前に手に入れた根付です。「江戸時代の根付」と言うことでしたが、象牙で出来た細かい細工のお値段は比較的安価でした。

根付に多いと言われる贋作でも良いと思えるお値段だったのです。裏には「友一」と言う現代的な作者の銘が入っていました。

ところがある日 根付の本を見ている時、根付作家一覧表に「友一(ともかず)」の名前を見つけました。しかも亀について触れているのです。

友一(ともかず)19世紀初―中頃の岐阜の根付師。一時京都へ出て名声を得るも、ほどなく岐阜へ帰り金華山下黙山観音堂の傍らに草案を構えて簡素な生活を送ったという。
写生にのっとった精密、真摯な作風で,殊に亀および猿の根付を得意として知られる。(別冊太陽印籠と値付け182頁)

もしや、本当に江戸時代の作品?しかも、有名な作家? 一瞬 喜んだのですが、やはり購入した金額では手に入るはずはありません。謎の多い作家と同様、この根付の真贋も謎です。

でも、これを手に入れたことで根付の事を少し知るきっかけになりました。

                          12.5㎝ 3.5㎝  高さ1.7cm
          

一塊の象牙から、どのような緻密な構想を練ると このように彫れるのでしょう。
                    
          
                    
          

装身具として身につけたり、手に持ったりするので、壊れやすい部分や引っかかると部分がないのが一般的な根付ですが、この根付は、少し大きめで、壊れやすそうな繊細な部分があります。

裏に穴がありますがこれは留め具として提げ物とつなげるための穴です。紐通し、あるいは紐穴などと呼ばれます。
          

さて、後になりましたが、根付について少しお話します。

今では実用として根付を使う方は殆どいらっしゃいませんが、日本人が、日常的に着物を着ていた時代、巾着や煙草入れ、印籠名を帯から提げていました.その提げものが落ちないように紐で留め具としての根付に結びつけていました。

根付は江戸時代(1600年代初めから1800年代半ば)を通じて大変優れた芸術性と遊び心溢れるアイデアを備えた工芸品に発展していきます。

単に滑り止めのための実用だけでなく、体に着用されるところから、根付は装飾と言う要素を兼ね揃えることになりました。

木や牙歯類、陶器、金属、漆、琥珀、珊瑚類、ガラスなど、様々な材料で作られました。

人々はお互いに自分の根付を自慢したり、褒め合ったりして楽しみました。
意匠も滑稽な、あるいは愉しい繊細で巧妙なものになって行き、小さな彫刻品は豊かな表現の作品が見られるようになりました。

当時の人が自慢し合っている様子が目に見えるようですね。

初期の頃は彫金や大きな彫刻などを専門としていた作り手は、余技に根付を作っていましたが、次第に根付製作に専念する本格的な作家が排出することになります。

しかし幕末の頃から、社会の変化から根付の人気に陰りが見え始めます。1900年代半ばにかけては、ごく一部の作家が芸術的な根付を作り続けるのみとなってしまうのです。

1800年代半ば以降、西洋人が根付に興味を持ち、多くの根付が西洋へ輸出されました。大多数の日本人はほとんど関心を払わなくなってしまいましたが、反面、根付は西洋人によって活発に売買・収集・研究されています。

現在根付は、古根付・現代根付ともに、独特で魅力的な美術品として世界的に高く評価されています。

日本では高円宮家のコレクションが世界的に有名です

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もう一つ我が家にある、これも安価で手に入れた根付です。(骨董屋さんでは何も説明しないほど安価で売られていました)ネットで調べると江戸時代の作家と書かれているのですが、???です。

表情がとても可愛い根付です。
                    象牙         高さ5.5cm   銘 玉山

        


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素晴らしい根付の数々ご覧ください。(根付の本から)

          
          
          

日本が誇る 細やかで機知に富む「小宇宙の芸術品」は、外国人の収集家の美術品としての高い評価に守られ、実用として使われなくなった今も伝統的な技術を受け継いで、製作上の約束事を
きちんと守りながら作られ続けられています。