印籠

根付に続き今日は印籠です。
「根付」同様「印籠」は明治以降大量に欧米に渡出し、現在では海外のコレクタ―の方が量・質ともに充実しているようです。

印籠は初めは印判印肉の容器で、室町時代中国より伝わりました。その後宮中で公卿たちが火打ち石入れに使っていましたが、失火を恐れて火打ち石の殿中持ち込みが禁止され、薬容器に転用されました。室町時代には唐物が珍重され、貴族の邸宅や寺院の書院の棚飾りに使われました。薬籠というべきこの種の容器を印籠と呼ぶようになったのは、桃山時代の武士と言われていますが、なぜそう呼ぶようになったのか 経緯は定かではありません。江戸時代には、武士は一般礼装である裃を着用するとき、印籠を提げることがしきたりになっていました。
しだいにに町人の間でも使われるようになり、外出する時に男性も女性も使うようになりました。女性用のものは男性用より小振りです。

印籠の装飾性が増すのは江戸時代後期です。この頃になると必ずしも薬入れとして使われたのではなく、単に装身具、あるいは美術品としての役割が増します。何種類もの印籠を使い分け、外出時のお洒落を演出する小道具として使われるよなりました。また、美術品として楽しむ人も現れるようになりました。

写真は、我が家にある印籠です。

印籠  江戸時代  古渡珊瑚入り柿南天印籠  
 銘 梶川作 印籠本体 縦7.5cm 横5.7cm 根付人物 象牙造 三段重ね
  
南天の実には古渡珊瑚が使われています。
古渡珊瑚とは、胡渡珊瑚(こわたりさんご)、地中海で取れ、ペルシャ渡りで運ばれてきた珊瑚の呼び名です。

南天は「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされています。
調べてみますと南天は仙人の食べ物といわれ、健康への願いの意味があるようです。

          

柿は縁起果樹です。 
「柿が赤くなると医者が青くなる」と言うことわざがあり、豊富なビタミン類とミネラルは医者いらずの万能薬として重宝されました。        
柿はその幹を撫でるだけでも健康によいといわれています。
          

銘に梶川常?とありますが、最後の字が良くわかりません。(通?のように見えるのですが・・)
          
          
梶川家
梶川家は5台将軍綱吉の時代に初代の梶川常巌が天保3年(1683)に大阪から召し出され印籠その他蒔絵御用を勤め、それ以来代々将軍家の御納戸頭支配御蒔絵師として代々仕えた名門です。

印籠は一般的には3〜4段に分かれており紐で連結します。それぞれの段に異なった薬を入れて持ち歩くようになっています。通常、腰にぶら提げる為のストッパーの役割をする「根付け」、蓋の開閉の際に使う「緒締め」と合わせて三点セットで使われます。
          

緒締め
この緒締めは貝や小さな 古渡珊瑚、石が施されています。
片面の、貝の部分に政信と彫られていますが、この印籠を持っていた人の名前でしょうか。名前の下には、細かい古渡珊瑚で落款のようなものが見えますが、小さくて虫眼鏡で見ても良くわかりません。本当に細かい細工です。
                    

根付 仙人   
根付には銘は入っていません(箱に書かれた作者の文字は薄くて読めませんでした。)

仙人(せんにん)は、中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指し、羽人、僊人とも言われます。道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされています。

仙人とナンテンの関わり
始めはこの小さな根付が仙人と言う確信がありませんでした。調べていくうちに印籠の図柄の
南天との深いかかわりが分かりました。
*仙人の持つ杖は皆ナンテンでできているのです。
*また、上の方でも触れましたが、ナンテンは仙人の食べ物であったとも言われています。
 

印籠は持つ人が願いを込め依頼したのです。この印籠を持っていた人の願いが伝わって来ます。
                      象牙  高さ4㎝
                  

印籠は天下統一後の短期間に広まり、江戸時代260年間を通して江戸時代の文化の象徴です。

小さな空間に無限の技法を余すところなく施す、一つの技の道を究めようとする職人の気概、そして、粋な遊び心と,美を見る確かな目でそれを支えた江戸時代の文化と人々に圧倒されます。