染付七夕傘文様の小皿

今リビングに飾ってある「蛇の目傘文様」の小皿、次は「七夕飾り文様」の豆皿を飾ろうと思います。
                       

6.5㎝ほどの小さな豆皿です。
15年以上前に購入した折、この豆皿は高峰秀子さんが持っていらしたものだったと伺いました。
信頼のおける骨董屋さんで、多くの豆皿を購入した事のあるお店の方のおっしゃること。購入を決めた後から話され、特にそれを売りにした訳でもなく、(お値段もそんなにお高いものではありません。)そのようなことをおっしゃるのは初めてでした。

この豆皿は江戸時代に作られたものです。
人形や色紙を提げた笹竹をさらりとした筆使いで描いています。中央に竹をもって来た構図も素敵です。
                   染付七夕笹文皿 江戸時代 径6.5cm
          
この豆皿も別冊太陽「小皿豆皿1000」44ページで紹介されています。

          
          

すっかり忘れておりましたが、先日(6月12日)TV「徹子の部屋」に高峰秀子さんの養女になられた作家の斎藤明美さんが出演して、「一昨年末86歳で亡くなった女優の高峰秀子さんの関連本が次々と出版されるなど、彼女を知らない世代の方に“高峰秀子ブーム”が起こっている。」というお話をされているのを伺い、ふとそのことを思いだしました。
          

そう言えば高峰秀子さんは一時骨董屋さんを開いていらしたことがあったのです。

女優という浮わついた職業をずっとしていることに嫌気が差し、丸の内に“ピッコロモンド”という小さな骨董店を開きます。百円でもいいから直接お金を頂いて、お客さんに「ありがとうございます」と言える仕事がしたくなったそうです。

徹子の部屋」でも養女の方が話していらっしゃいましたが、彼女は女優になりたくてなったわけではないのです。5歳のデビュー時から天才子役として認められ、出演した作品は300を超えているそうですが、学校にも行かせてもらえず、後々ご自分で勉強をされた方です。女優と言う職業が好きではなかったようです。

骨董店を開く時、仕入れを手伝ってもらった方は高峰さんが時折訪れていた骨董店の主人で若かりしころの中島誠之助さんです。
TV「なんでも鑑定団」の鑑定人になり、一般の方にも知られるようになったあの中島誠之助さんです。

掌中の「七夕」文様の豆皿、真意はともかくとして、そのようなエピソードを思い、眺めていました。