アンティーク コンパクトケース

美しいアンティークのコンパクトケースはハンドバックにそっと忍ばせておくだけで幸せな気持ちになります。バレーの鑑賞など特別なお出かけの時にハンドバックに忍ばせ、いつもと違う時間を楽しんでいます。化粧台に置いておくだけでも素敵なインテリアになります。

購入時に伺った話では、20世紀初頭のフランス製。
          

          
このコンパクトケースは縦に開きます。
          
中のコンパクトカバーが縦ではなく、横に倒れて開くようなコンパクトケースもあります。そのような開き方をするコンパクトケースは19世紀末のコンパクトの特徴です。
      
日本でのお化粧の始まり
お化粧の始まりは日本では3世紀ごろから確認できます。身分の高い豪族のお墓の副葬品である「埴輪」に、赤い顔料で顔や身体にお化粧を施したものが残されているのです。
赤い色は悪いものから身を守るという呪術的な意味があると推測され、それは血の色や太陽に通じているからだと考えられています。今のおしゃれの為のお化粧とは違いますね。

おしゃれとしてのお化粧の始まりは、確認できるものとしては飛鳥時代、6世紀後半ごろからです。大陸では隋が中国を統一し、日本からは遣隋使(けんずいし)が派遣されていました。そんな中、大陸から紅やおしろい、香といったお化粧品が輸入され、日本におけるメイクが始まったとみられています。当時の白粉は鉛を酢で蒸して作られていたといいます。この時期、日本でも初めて鉛を使った白粉(鉛白粉)が作られ、女帝である持統天皇が献上された鉛白粉を大変喜んだと『日本書紀』に記されています。

コンパクトケースの歴史(西洋編)
パウダーコンパクトケースの歴史は、中流階級以上の女性の、社会進出の歴史とも言えます。良家の子女が家の中でつつましく暮らしていた時代には、「携帯用」のお化粧道具は必要ありませんでした。

ビクトリア女王がイギリスを統治していた時代、進歩的な上流階級の女性が社会奉仕に精を出し、教養ある女性の就労も認められるようになりました。そして20世紀初頭、「外」に出る活動的な女性は社会的にも容認されはじめ、同時に女性が携帯するお化粧道具にも工夫が見られるようになって来ました。

しかし、1920〜30年代までのコンパクトは、まだまだ裕福な上流階級の一部の女性たちのものでしかありませんでした。その後、携帯用化粧道具が広く一般の女性にも広がり、機能的な大きな変化をもたらしたきっかけは、第二次世界大戦なのです。戦場に向かった男たちの代わりに、国内の企業の労働力を支えた女性たちに、携帯用の、しかも手ごろなお値段の化粧道具は必需品となりました。

それまで密かに自分の部屋で行われていたお化粧が、批判を受けながらも人前で行えるようになりました。そのころからコンパクトは見せることを意識し、華麗な装飾を施したものも登場し20世紀の女性の社会進出を象徴するアイテムとされました。

人前でお化粧をするのが容認された現代でも、おおっぴらに人前でお化粧をする姿を見られるのは美しい光景ではないように感じます。