ガンダーラ レリーフ仏

臼杵石仏の火祭りで、素晴らしい磨崖仏を見て来ましたが、磨崖仏や石窟仏には特別な感動を覚えます。

磨崖仏と言えばターリバーンによって2001年バーミヤンの磨崖仏(大仏)2体がが破壊され、その様子は撮影され世界中に配信されました。衝撃の映像は記憶に新しいものがあります。

磨崖仏の事を考えていたら、バーミヤンの遺跡の事を思い浮かべ、そして家にあるガンダーラ
レリーフを想い出しました。

15年位前に、国立にある骨董屋さんで購入したものです。ガンダーラ美術は偽物がとても多いと言われています。骨董屋さんは「これは骨董好きの一橋大学の教授が持っていた物」と話されました。この様なことを話す時は要注意です。これも、おそらく偽者でしょう。
でもとても気に入っています。インテリアとして部屋の片隅に飾っています。
                                        幅 35㎝ 高さ8㎝

          

          

裏から見たところ
          

上から見ると穴が開いています。ガンダーラの仏伝場面(レリーフ群) はストゥーパの基壇に付けられることが多いと言われているので、取り付けた穴の跡かもしれないと推測しています。
でも、これがいつごろの物か何かもはっきりわかっていません。

          



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ガンダーラは、現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部にかけて存在した古代王国です。カーブル河北岸に位置し、その東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していました。

ガンダーラの王国は紀元前6世紀〜11世紀の間存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えます。1021年にガズナ朝のスルタン・マフムードにより征服された後、ガンダーラの地名は失われました。イスラム支配下ではラホール、またはカーブルが周辺地域の中心となり、ムガル帝国支配下ではカーブル州の一部とされました。

最盛期のクシャーナ朝のもとで、ガンダーラは黄金時代を迎えます。ペシャーワル渓谷とタクシラにはこの時代の仏塔と仏寺の遺構が数多く見られます。カニシカ王(在位:128年 - 151年)統治下にガンダーラ美術は繁栄し、多くの仏教建造物が建立されました。王のもとで、ガンダーラは周辺文明の中心となり、その地で栄えた仏教美術はアジア全域に広がりました。ペシャーワルには120メートルもの巨大な仏塔が建立されたほか、数多くの仏教遺跡が残り、後世、東アジアからの巡礼地として神聖視されました。カニシカの死後、王国は東方領土を失い始め、西方ではサーサーン朝の支配下に入りましたが、クシャン族の族長の元で新しい仏塔は建立され続け、旧来のものは拡張され、仏寺には大仏像が建てられ、断崖には磨崖仏が彫られました。