臼杵石仏火まつり

昨日「国宝臼杵石仏火まつりと浮羽巨峰狩りと日田サッポロビール工場」と言う日帰りバスツアーに行って来ました。

博多駅(12:30)―浮羽(巨峰狩り)―日田サッポロビール工場(製造工程を見学、)―臼杵石仏(17:50〜20:20 名物茶台寿司御膳の夕食、幻想の国宝石仏火まつりを満喫)-博多(22:50頃)

臼杵石仏火祭り
巨峰狩り、ビール工場の見学、臼杵観光センターでの夕食、臼杵美術館の見学のあとは、いよいよこのツアーのハイライト「臼杵の大仏の火祭り」の見学です。
臼杵磨崖仏は、大分県臼杵市深田にある4群60余体の磨崖仏です。「臼杵石仏」の名で知られています。1952年、国の特別史跡に指定され、1995年には国宝に指定されました。磨崖仏としては日本最初、彫刻としては九州初の国宝指定です。

精巧な石の彫刻が出来た理由の一つに、このあたり一帯は太古の昔阿蘇山の大噴火によって堆積した火山灰から生じた阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石だからです。やわらかく彫刻には適していますが、反面 軟質の石ゆえ傷みも著しいため覆屋を造って石仏を守っています。

現存している60余体はいずれも日本を代表する磨崖仏であり、うち59体が国宝の指定を受けています。誰が何時ごろ造ったのかということははっきりした文献が残っていないため明確な年代は謎につつまれていますが、伝承や民話をもとに平安時代末期から鎌倉にかけて彫られたのではないかと考えられています。

伝説ではこの地方を治めており人々から「真名長者小五郎」と呼ばれた豪族が我が子の死を悼み遠く中国より蓮城法師を呼んでここに大磨崖仏群建立を行ったとされています。

夜の7時,石仏群の周辺の篝火の点火が始まりまると、一帯が幽玄の世界に包まれます。

まず入口から遊歩道を歩いていくと、ホキ第二群のお堂の手前の崖に仁王の像がお出迎え。

一番手前にホキ石仏第二群があります。

傷みが著しい小さな阿弥陀如来像(ホキ石仏第二群)
          

坂を上がっていくと、ホキ石仏第二群のお堂があります。ホキとは岸険(がけ)と言う意味の地名。

阿弥陀三尊像(ホキ石仏第二群)
真ん中は存在感のある中尊阿弥陀如来像です。中尊阿弥陀如来像は平安時代後期の作と言われ、「毅然とした表情は彫技の冴えを感じさせる傑作」とパンフレットに書かれていました。キリリとした表情は、彫刻技術の高さを感じさせます。思わず手を合わせたくなります。
          

少し登ると次はホキ石仏第一群です。ここには多くの石仏が並んでいます。
地蔵十王像は、中尊に地蔵菩薩、両脇に5体ずつの十王像を配しています。片ひざを立てた姿の地蔵菩薩は古い様式で珍しいとのことです。鎌倉時代の作。

当時岩肌に彫られた磨崖仏には全て着彩が施されていたそうです。1000年以上も経った今もその痕跡を微かに残しています。ため息が出るほどの美しさです。
          

平安末期頃
          
各像の下にある穴は願文や経巻を入れていたとも言われています。
          

さらに上を見ると山の中腹に山王石仏があります。ここには三尊の石仏があります。 
          

急な階段を登って行くと三尊の石仏がありました。中尊は穏やかなお顔の大きな如来座像、その左右には脇尊としての如来座像を配してあると言う珍しい形式です。「隠れ地蔵」とも呼ばれ、
安井曽太郎画伯が絶賛した像だそうです。
          

古園石仏(平安後期ごろ)
古園石仏と呼ばれる一群、ここには最も有名な大日如来像があります。この大日如来像は頭部が落ちていたのですが、今では元のお姿に修復されています。

以前は落ちた仏頭が仏体下の台座の上に安置されていたそうですが、保存のための修復に合わせて仏頭も昔日のお姿に復位されました。
          
古園の石仏群の腰部分から下は浸食により形がないものがほとんどです。残念ですね。
          

石仏をまわりながら、下の広場を見ると、1000本とも言われる:松明の火の揺らめきが広がり、
何とも言えない幻想的な光景でした。広場の片隅からは力強い太鼓の音が響いてきます。
          

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火祭りを見る前に美術館に行きました。
ヤマコ臼杵美術博物館
                     
臼杵キリシタン大名大友宗麟が1562年頃 現在の臼杵公園に築城したことに始まります。
1600年には美濃から稲葉氏が入城、幕末まで15代に当たり臼杵藩5万余石を治めました。
1階には藩主の馬具や豪華な嫁入り道具が展示されていました。
   

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浮羽の明果園
このツアーで一番先に立ち寄った浮羽の巨峰狩り。山奥のぶどう園のまん丸い巨峰は今が旬です。果物が実っている姿はワクワクします。
ここに到着するまで柿,梨、栗の畑が続き、どれもたわわに実をつけていました。添乗員さんに伺いましたら、「明果園」と言う農園だそうです。調べましたらここはぶどう狩り・もも狩り・なし狩り・いちご狩り・かき狩りができる観光農園のようです。浮羽と言うことで、豪雨の被害を心配しておりましたが、被害の様子は目に触れませんでした。でも、市道の一部がえぐられ通行不能になっている所などまだ日常に戻れていないところがあるようです。1日も早い復興が出来ますように。
          

日田サッポロビール工場
九州では以前他のビール工場の見学をしたことがありますが、日田のサッポロビール工場は初めてでした。ビールが出来るまでの映像を見て、工場見学をした後、出来立てのビールを頂きました。出来たてと聞いただけで美味しく感じます。ビールの注ぎ方も教えて頂きました。3度に分けてグラスに注ぐと言う方法は以前他のビール工場でも教えて頂きましたが、今回缶ビールもグラスに注いで飲むのが良いと言うことを伺いました。
驚いたのは、ビール瓶は何度も洗って使用できる為、長いものだと30年?(いや20年だったか?何しろ想像を超え長く)使用できているものがあるそうです。


名物茶台寿司御膳の夕食
さて、観光センターで頂いた茶台寿司。
調べてみました。
一見何の変哲もない握りずしのようですが、よく見ると具が表と裏の両面に貼り付けてあり、それをお茶の台(茶托)に見立てて茶台寿司という。手近な魚介や季節の野菜などを使ったもてなし料理で、近年江戸前の寿司が臼杵に入ってくるまで、臼杵で寿司といえばこの茶台寿司のことだった。
今回頂いたお寿司には、椎茸と,柿?のお寿司の下に紫蘇の葉が貼り付けてあったような・・・。
豊後とり天 胡麻豆腐も美味しかったです。

そして、とても長~い鮑腸(饂飩)が出ました。固くてとても長~い麺です。麺つゆまで運ぶのに皆四苦八苦。これも由来がわかっているとより楽しく頂けます。
鮑腸  大分県戸次地方に伝わる郷土料理。名前の由来は戦国武将 大友宗麟は鮑(あわび)が大好物であったが不漁が続き手に入らなかった時、家来が小麦粉をこねてアワビの腸に似せたものを作ったところ宗麟がとても喜んだ、と言われる。地元でははしごに昇って食べる、と言われるほど長く麺は2メートル以上、釜揚げした麺を、昆布、しいたけ、いりこ、鰹節で贅沢にとった出汁でつけ汁を作りかぼすを浮かべてさっぱりといただく。 
          

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日本にもこのような素晴らしい磨崖仏があることを想像しておりませんでした。

出来ればもう一度 石仏に会いに、そして今度はゆっくりと臼杵の古い街並みを歩いてみたいと思っています。

「国宝臼杵石仏火まつりと浮羽巨峰狩りと日田サッポロビール工場」
            第一観光  旅行代金 6800円+美術博物館入館料300円(通常400円)