無窮洞

昨日「絶景の展海峰コスモスと伊万里梨食べ放題とまつうら海鮮街道車海老づくし」と言う日帰りバスツアーに行ってまいりました。

素晴らしい秋の1日でした。

博多駅(8:45)―基山PA(9:15)―伊万里(10:30〜11:20 有名な伊万里梨狩り満喫、―松浦市内(名物の車海老づくし料理の昼食)―道の駅松浦海のふるさと館(お買物)―展海峰(15:00〜15:40 標高165m、展望台から絶景のパノラマ九十九島を眺望、約15万本のコスモス観賞)―無窮洞(全国的にも珍しい大型防空壕跡を見学)―梅ヶ枝酒造(酒蔵見学)―博多(19:20頃)

タイトルにはないのですが、このツアーを申し込んだ一番の理由は、無窮洞の見学が入っていたからです。

まずはその「無窮洞」をご紹介します。

長崎県佐世保市に、国民学校(現在の小学校にあたる)の生徒と教師が戦時中に自らツルハシで掘った防空壕が残っています。600人が入れる大きな防空壕です。工事は昭和18年に始まって完成しないまま終戦を迎えました。原爆でヤケドを負った人達の避難所にも使われました。

「無窮」とは「きわまりないこと」「かぎりないこと」日本と子供達の将来がいつまでも栄えることの願いが込められているのでしょう。当時の「宮村国民学校」の校長先生が命名されたそうです。

ボランティアの方に案内して頂きました。

終戦が近づくと、この付近もグラマンによる機銃掃射が行なわれたそうです。生徒たちも実際に数回避難し、息を潜め、戦闘機が過ぎ去るのを待った場所です。

現在は普通に立って入ることができますが当時は人一人通るのがやっとの広さだったそうです。
          

中に入るとすぐに下のような光景が広がります。
高い天井はきれいにアーチ型に削られ、正面には教壇、壁には飾り柱まで造られています。

無窮洞は、大きく「主洞」と「副道」に分かれていて、中で繋がっているそうです。
この教壇のある方が「主洞」で、奥行き20メートル、幅5メートルもあるそうです。

床に掘られた黒く見える溝は壁を伝わる水を排水させる物だそうです。生活するために困らないように細かいところまで考えられていますね。
          

当時の作業風景や道具が展示されています。
          

          
昭和18年の作業風景。撮影ために綺麗な洋服を着ているそうです。
          

当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は昭和18年8月〜終戦の昭和20年8月15日まで続けられたそうです。

子供たちに高い天井が掘れた理由。実はハシゴを使っての天井部分の工事は子供達には危険だった為、まず天井部分を削り、その後に足元を掘り下げていったそうです。よく考えた物だと感心させられます。
          

岩に触れてみました。火山岩塊などが火山灰で固結してできる凝灰角礫岩という地層は作業がしやすいのかもせん。そのことが緻密な作業を可能にしたのかもしれませんが、それにしても戦時下の厳しい状況の中、細かい装飾さえ施している内部から当時の先生や生徒の、明日を信じ作業をしていた心が伝わってくるようでした。人間て強い、素晴らしいなと感じます。戦時下に置かれた子供たちの心情を考えると胸が締め付けられます。表面には女子生徒が仕上げたノミの跡が残っていました。

この防空壕は設計図もなしに造られたそうです。1枚の岩を1kmにも及ぶ岩盤をくり貫いて造られており、教壇などの内部造物はすべて岩盤を削り出して造られています。

実際には教室と使われることなく終戦になったそうです。
          

          

明かりを灯す台の素晴らしさ   このような美しい造形は生きる希望と勇気を与えたのかもしれません。防空壕の中で見る 装飾の美しさから、当時の厳しい生活の中での、先生方の願い、子供たちが何を考えていたのかが伝わって来るようでした。
          
天皇陛下の写真を保管する御真影室がありました。戦前の学校には御真影を収めた場所や独立した建物があったそうです。当時の時代背景を感じます。これらは奉安庫や奉安殿というそうです。

生徒は入ることは出来なく、この部屋の前を通る時には礼をしたそうです。ここには重要な書類も保管されていました。
          
長期の本土決戦に備えるための決意なのでしょうか
その奥に進むと食料庫になる予定の場所がありました。壁には生々しいツルハシの跡、天井からは水が滴り落ちています。完成前に終戦を迎えた為、未完成となっています。
          

奥は厨房で竈が2つ、調理場がありました。
鉄柵がある部分が通気口兼退避口で調理場の煙突替わりでも
あったそうですが、実際には使われることは無かったそうです。  
          
通気孔の役目もあった裏山に抜ける避難道。洞窟側と山側から掘って途中でつながった時は、皆大喜びをしたそうです。このような作業はとても難しく、現在でも建築関係の方が見学に来ると案内の方が話されました。
          

底から1m程黒くなっていますがこれは貯水漕として使われた名残りです。その為トイレはコンクリートで塞がれていました。
          

入口の横にある穴です。 ここから新鮮な空気を唐箕で送り込んだそうです。唐箕とは米と籾がらを選別する為風で籾がらを吹き飛ばす道具です。その唐箕が送風機として代用されていたそうです。
          

長崎市に原爆が投下された時に全身が焼けただれた人々が次々と運び込まれ一時医療施設として使われたそうですが、被害者は皆亡くなったそうです。


防空壕の内部を見学して、入り口にあった終戦当時の鳥瞰図を見ていると、案内して下さった方とは別の方が来られ説明して下さいました。80歳近いその方は実際にこの防空壕を掘った方でした。

悲惨な戦争を体験した人でなければ伝えられないしみじみとした口調で、「戦争は絶対にしてはいけない」とおっしゃいました。
          

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さて旅行会社のパンフレットのキャッチフレーズにある伊万里

立ち寄った新幸農園は佐賀県伊万里市東部に位置し、梨園として九州最大規模の栽培面積を誇っている農園です。

今回私は食べ放題はそこそこに農園の車に乗って梨畑に行きました。梨がりと言うよりは、実りの風景を見たかったのです。

新幸農園では化学肥料と農薬使用量の削減で梨を栽培しています。この農園では幸水豊水、新高の梨を栽培しているそうです。
今美味しいのは新高。ジャンボ梨と呼ばれる大玉の品種です。味を重視するため無袋で栽培されていました。メロンぐらい大きさのもあり、1つで1キロ以上の物もあるそうです。

この光景 素晴らしいでしょう。
          
とても大きな梨がたわわに実っています。熟して木から落ちて放置されているものも沢山あります。もったいない!
          
梨がりの後販売所に戻り、500円の詰め放題にも挑戦。またまた実力を発揮してしまいました。
遠慮がちに???詰めてはいたのですが、なんと10個も入ってしまいました。
8個でも多いそうです。その重たい事!
アメリカに住んでいる娘から日本の梨が恋しいと聞いたことがあります。送ることが出来たら良いのですが・・・。(映像だけのプレゼントになってしまいました。)
                    
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そしてこれは今回の旅で旅行会社の一番の売り海鮮街道車海老づくしの昼食。

長崎県松浦市にある小さなお店「あじ彩」外観と違い「あじ100選」にも入っているお店です。
松浦市は全国有数の水揚げを誇る水産都市です。中でも、鯵、鯖、河豚の水揚高は全国一だそうです。
新鮮なお刺身。エビしんじょうの中にはフグの皮も入っていて、すべてのお料理が丁寧につくられています。
          
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絶景の展海峰
          
展望台からは九十九島が眼下に広がります。

九十九島は2008年3月22日から24日 「よかとこ五島列島平戸島九十九島の旅」と言う東京からのツアーで回った事があります。その時船で回った島々を展望台から一望しました。
        
          

コスモスが満開!
          
          

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そして、ツアーの最後 梅ヶ枝酒造の酒蔵の見学。
1787年創業の造り酒屋です。今も残る主屋は1860年頃に建てられた建物です。
芋焼酎の出来るまでの説明などを伺ったあと、美味しいお酒も試飲し、お土産に「あずき甘酒」を購入。
芋焼酎はお芋で作るのは分かってはいたのですが、実際に見るのは初めてでした。


九州の秋を満喫したバスツアーでした。
          

                              第一観光 旅行代金 6980円