伊万里染付   南蛮船にオランダカピタン図小皿

マラッカ海峡を眺めながらその歴史に思いを馳せている時、なぜかふと家にあるオランダ人が描かれた江戸時代後期の小皿の図が浮かびました。

この小皿の同品は別冊太陽骨董をたのしむ「小皿豆皿1000」(平凡社)では染付南蛮人喫煙図皿と紹介されています。
三好一著「小皿豆皿」(カラーブックス)ではごそうせんにオランダカピタン図手塩皿と紹介されています。

私は持っているこのお皿をあえて南蛮船にオランダカピタン図小皿と名付けています。

正確には南蛮人は中世末から近世にかけて日本に渡来した、ポルトガル人・スペイン人のこと。
オランダ人は「紅毛人」と呼んでいたようですが、南方を経由して来日した西洋人を総称して
南蛮人と呼んで骨董では南蛮人、オランダ人、同じように扱われているように思います。

このエキゾチックな南蛮物の題材は、幕末近くなるとお皿に描かれるようになりました。
南蛮人が描かれた器はのちに「南蛮物」として分類されるほど多量に作られました。

古い時代の物には南蛮人図(オランダ人図)はあまり見られません。
それまでの古いものの中に見られる人物文は、中国の賢人、唐子,舟人でした。

25年以上前に手に入れたこの小皿には、長い煙管で喫煙するカピタンが描かれています。
遠くに見えるのは南蛮船です。
                   江戸後期  径9.1㎝

        
新たな時代の到来を感じるこの1枚のエキゾチックな図柄は見ていてとても楽しいお皿です。

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南蛮人
16世紀、ポルトガルとスペインのイベリア半島諸国が、インドから東南アジア一帯の港湾都市島嶼域の貿易拠点の一部に植民地を得て、交易圏を日本にまで伸ばしてきました。これらの諸国と日本との南蛮貿易が始まると、貿易によってもたらされた文物を「南蛮」と称するようになり、やがて本来は人に対する蔑称であった「南蛮」が、侮蔑語というよりは、異国風で物珍しい文物を指す語(昭和初期までの「舶来」と同義)として使われるようになりました。同時に、人に対する呼び名としては南蛮人(なんばんじん)という言葉が生まれたのです。

紅毛人
紅毛人は、江戸時代に使われた、オランダ人、イギリス人など北ヨーロッパ系民族の総称です。「人」が取れて単に紅毛とも呼ばれました。南ヨーロッパ系(スペイン人・ポルトガル人)の南蛮と対比して使われました。南蛮同様、のちには西洋の文物を単に紅毛と呼ぶこともありました。鎖国以後は、ほとんどの場合オランダ人を意味しました。また南蛮同様、西洋一般に意味が広がることもありましたが、オランダ由来の物品も南蛮と呼ばれることが多く、用語自体があまり広まりませんでした。

カピタン
江戸時代、東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者「商館長」のことです。元はポルトガル語で「仲間の長」という意味があり、日本は初めにポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を開始した為、西洋の商館長をポルトガル語の(カピタン)で呼ぶようになりました。その後ポルトガルに代わりオランダが貿易の主役になりましたが、この呼び名は変わりませんでした。本来オランダでは商館長のことを(オッペルホーフト)と呼ぶのですが、日本では使われませんでした。

手塩皿とは
<古くは食膳の不浄を払うため小皿に塩を盛ったことから>小さい浅い皿のこと。小皿に少量の塩を盛ってそれぞれの食膳に添えるのに使いましたがいま。「おてしょ」とも言います。