端午の節句

今年はまだ鯉のぼりを1度も見ていなかったことに気が付き、散歩がてら鯉のぼりを見ることの出来る次大夫堀公園に行って来ました。

家から15分のところにある世田谷の農村風景の典型的なイメージと昔ながらの小川を復元した
次大夫堀公園。面積は約36,000平方メートルで650メートルの水路を有し、その水路に沿って、当時の古民家や水田(1,400平方メートル)が配置されています。水路や池には、コイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しています。ここでは多くのイベントが開催されます。

今日は子供の日のイベントとしてシュロの葉を使ったバッタやでんでん虫の作り方教室、輪投げ、紙芝居、バナナの叩き売り、伝統的な製材技術、木びきの体験会等楽しい企画が沢山あり、
お子さんたちが嬉しそうに参加していました。

民家園の田んぼの上に鯉のぼりが泳いでいました。
          

民家園にある旧安藤家に飾られた立派な端午の節句の段飾り
          

端午の節句には庭に家紋入りの武者幟(のぼり)をあげました。幟の先端につけられる
「だし」にはかつてさまざまな物があったそうです。いずれも神が降臨する依り代としての意味があるそうです。     旧安藤家に飾られていた幟の先端は杉の葉でした。
          

          

下の写真の幟の「だし」は籠玉です。私は幟のだしは『矢車」しか知りませんでした。
          

          

「五月の節句」解説会では、端午の節句についていろいろ教えて頂きました。 
もともと端午の節句は、悪鬼や災厄を祓うのが目的で、武家屋敷の塀や門に柵を作り、幟(のぼり)や兜・槍・なぎなた等を並べて飾る外飾りでしたが、やがて鎧兜を着せた武者人形を飾るようになったそうです。庶民は本物の武具などは持っていなかったので、最初は厚紙などで兜や剛毅な武者の人形を造り飾っていました。これが五月人形の始まりです。
やがて元禄時代になると、外飾りではなく室内に飾るミニチュアサイズの幟が登場し、同時に弁慶や義経等の史実に残る勇猛な人物の武者人形や疫病から人々を守る鍾馗様が盛んに作られ飾られるようになります。この頃から武家と庶民の飾りに差異が無くなり、外飾りではなく室内に飾る内飾りとなり、現在に近い形の端午の節句のお祝いの仕方が普及していきました。
江戸初期、端午節句に庭に立てられていたの は武者のぼりで、鯉のぼりはまだ存在していなかったそうです。


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あまっていた食材を、春巻きの皮を兜に折った中に詰めて油で焼いてみました。
(ダイエットの為に今回は揚げませんでした)

         一つはカレーの残り、もう一つにはエビのすり身が入っています。  
                    18㎝の中くらいの大きさの春巻きの皮を使用