コーカサスの旅   乗り継ぎ地 ドーハの市内観光

5月10日 成田発 22時30分発 カタール航空 ドーハ経由でコーカサスの旅に出発。

翌11日 朝4時20分 乗り継ぎ地カタールの首都ドーハに到着。日本との時差−6時間。

ドーハ空港
                                                                                    
乗り継ぎ時間を利用してのドーハ市内観光に出発。
          

ドーハ市内観光はネパール人のジョージさんが英語で案内して下さいました。
世界で最も裕福と言われている国カタール。この国の人口の70%が、ジョージさんのように外国から出稼ぎに来ている人だそうです。
カタリゼーションというカタール優遇政策が採られていて、どの外国系の企業であってもカタール人のスポンサーが必要だったり、一定数のカタール人を高い給料で雇わなければならないのです。この国の人口の30%しかいないカタール人は、ペルシャ湾から産出する石油と天然ガスの恩恵で裕福な生活を享受していて、国政と経済に係わる仕事を携わっています。税金もなく、、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、10年後には自分のものになるそうです。   2010年に訪れたドバイと似ています。
出稼ぎの人はインド、アフリカ、イラン、パキスタン、ネパール、スリランカチベット、フィリピンと貧困国からが多く,住む所はアパート。カタール人は豪邸に住むと言う格差が見られます。

カタール人が住む豪邸が沢山建っていました。
          

サッカースタジアム   アル・アリ・スタジアム  
ドーハと言えば日本では「ドーハの悲劇」を想い出す人が多いようです。1993年、試合中最後の最後の失点で、悲願のワールドカップ初出場を逃してしまった舞台となったのが、ここ「アル・アリ・スタジアム」です。
          

ラクダ市場
白、茶色、黒と色々な種類のラクダがいました。白いラクダは、スーダンから、黒いラクダはサウジアラビアから、茶色いラクダがカタール産のラクダだそうです。

ラクダは、主に食肉用、ミルク用、レース用に売買されます。
ラクダのミルクがどんなお味なのか興味があったのですが、ここではラクダの売買だけが行われています。ラクダのミルクはスークで粉ミルクとして売っているとガイドさんが教えてくださいましたが探すことは出来ませんでした。
          

アル・ラヤン・エクストリアン・クラブ
「アル・ラヤン・エクストリアン・クラブ」と言う 馬の飼育・訓練を専門に行う巨大な施設を見学しました。カタールでは競馬や馬術競技を見物するのが王族の趣味だそうです。こちらでは約700頭の馬が飼育されているそうです。馬用のプールもある素晴らしい施設です。
          

          

          

          入口付近の売店で売られていた飲み物類は約380円。
          

カリファスタジアム
カタールを代表するカリファスタジアムも見学しました。
2006年にはアジア大会でも開会式と閉会式が行われました。
2009年11月中旬に行われたブラジル代表対イングランド代表(南米のチームが1−0で勝利)では収容人数5万人のカリファスタジアムは満員となり、サッカーでも主要な国際試合の舞台としての成功を見せました
AFCアジアカップカタール2011年のメインスタジアムとなり、開幕戦と決勝戦も行われました。

サッカーだけではなく陸上競技の会場ともなり、スポーツとエンターテイメントのための素晴らしいスタジアムとして重要な場所だそうです。
          

ドーハの近代的な建物
                       

アルジャジーラテレビのオフイスもバスの中から見ることが出来ました。
          

スークワキーフ
紀元前からカタール半島にも人が居住していたようです。カタールの西海岸にあるウム・アル・マの古墳からは6000年前頃のものと思われる手斧などが発見されています。 今から5000年前には人々は漁をして生活していたといわれ、3000年前ぐらいに作られたお墓からは、東南アジアの影響を受けた陶器が発見されました。
ここスークワキーフも1000年位前からベドウィンの人々が物を売っていたことが始まりだと添乗員さんから伺いました。数年前に火災があり、当時の面影を残し建て直されたそうです。中は迷路のように入り組み水タバコ、民族衣装、香辛料、アラビックスイーツ、布、時計、貴金属、香水などを売るお店が軒を連ねています。
          

          

          

真珠の話
カタールの真珠の歴史は古く、紀元前3000 年〜2000 年の遺物が見つかっています。カタールペルシャ湾有数の真珠の産地でした。天然の真珠は、数が少なく、価格が高く、古代よりペルシャの王族の間で重宝され、貿易の品としても扱われていました。真珠産業は近年まではカタールの重要な産業でした。 しかし、1905 年に日本御木本幸吉氏が新円真珠の養殖に成功し、値段の安い日本製の養殖真珠が世界に出回るようになった為、値段の高いカタール産の天然真珠は売れなくなり、真珠採りをする人は減ってしまったそうです。現在では真珠産業はなくなってしまいました。

乗り継ぎまでの時間を利用してのドーハ市内観光、コーカサスの旅を申し込んだ時には予定していなかったドーハの見学もでき嬉しい旅のスタート。

これからカタール航空にて、ペルシャ湾、イラン上空を越え、カスピ海沿岸の街バクーに向かいます。