コーカサスの旅   アゼルバイジャン バクー

ドーハから約3時間のフライトの後 夕方アゼルバイジャン共和国の首都バクーに到着。
日本との時差−4時間

アゼルバイジャンの名前は、紀元前4世紀、アレキサンダ−大王遠征の時、この地方に生まれた
アテロバテン(火の国)という国家の名前に由来していると言われています。

首都バク−は、カスピ海に突き出た、アプシェロン半島の南に位置し、人口は200万人を超え、
コ−カサス地方で最も大きな都市です。バク−とは、ペルシャ語で「風の町」という意味だそうです。

アゼルバイジャンカスピ海沿岸にバクー油田を擁し,帝政ロシア時代から1950年代にかけて世界最大の石油産出国でした。世界中から石油資本が集中し,小さな港町であったバクーは地域最大の都会になりました。1960年代初め頃から陸上油田が枯渇し始め,その経済的地位は低下して行きましたが20世紀末になるとカスピ海の海底油田の開発が本格化し,再び産油国としての地位を高めつつあり,バクーの経済は石油で成り立っています。

アゼルバイジャン人の多くはイスラムシーア派を信奉しています。これは16世紀に現在のイランおよびアゼルバイジャンを中心とした地域を支配したサファヴィー朝の影響によるものです。しかし、毎日の祈りやラマダンをはじめとしたイスラム教の戒律は比較的ゆるやかなようで、飲酒や女性の服装も比較的自由です。

バクーの街を歩くおしゃれな人々を見ると、ここがイスラム圏であることを忘れてしまいそうでした。

     旧ソ連時代の建物               おしゃれなブティク街とお洒落な人々
           

この時期 夜の8時頃まで明るいアゼルバイジャンです。

宿泊するホテルの近くの公園が花で埋め尽くされ、入場待ちの人の行列が見えました。

明日早起きしてツアーがスタートする前に、ホテル周辺を歩いてみましょう。

               

5月12日 
今日からいよいよコーカサスの旅の1つ目の国、アゼルバイジャン、バクーの観光です。

早起きしてホテルの周辺を歩いてみました。

昨日入場待ちの行列が出来ていた公園に行って見ました。入場は10時からと言うことでしたが、
特別に許可を頂き見学することが出来ました。日本の花の飾りつけと少々異なることが興味深かったです。
                 

カスピ海もホテルから近くです。カスピ海は名前からイメージしていた美しい湖とは違い、油が浮いていましたが、眺めは素敵でした。
                 

さあツアーの始まり
殉教者の小道に向かいます。
金曜モスク
金曜モスクとは、その町でもっとも格式の高いモスクのことで、イスラム教徒にとって最も重要な
金曜礼拝に使われるための大モスクです。
        
          
殉教者の小道
バクー市内で一番高いところにある公園内に殉教者の小道があります。ここはソ連末期の1990年
1月20日に起こったソ連赤軍の侵攻や、アルメニアとの戦争で命を落とした一般人の墓地と慰霊碑があります。故人の写真が特殊な加工で刻まれている墓標です。

1991年のソ連解体により独立しましたが、アゼルバイジャン西南部のナゴルノカラバフ州には多くのアルメニア人が居住していたため、ナゴルノ・カラバフ紛争が起き、アルメニア軍との争いで、現在も、アゼルバイジャン西南部は紛争地帯となっています。

歴史上、様々な支配者が入れ替わったアゼルバイジャンは民族問題も複雑です。 
          
                   
殉教者の小道を通り戦没者記念碑に着くと展望が開け バクー旧市街とカスピ海のバクー湾が
一望できます。
          

             眼下に見える道路は,昔シルクロードだったそうです。
                    

新しい建造物バクーフレームタワーと言う30階建の炎の形をした3つのタワーも見えました。3 つのタワーは古くより火を重んじるアゼルバイジャン人の歴史を意味し、又この国の経済発展の象徴的存在のビルだそうで、夜になると赤いライトが建物の側面に照らされ、闇の中に炎が燃え上がるようになるそうです。何だか凄くバブリー。
          

「殉教者の小路」を見学した後、バスで市内の中心部に移動し、市庁舎が建っている付近からバクーの旧市街の見学のスタートです。市庁舎の脇を進んで行くと、目の前には城壁が見えて来たました。 その中が旧市街となっています。
          

城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔
アゼルバイジャンで最初の世界遺産。)

シルヴァンシャーの宮殿と乙女の塔がある城塞都市バクーは、カスピ海の南西に面するアブセロン半島のバクー湾に面した港町です。バクーとは、ペルシア語で、「風の吹く町」を意味し12世紀に海岸ぎりぎりに城壁が築かれ、その中に、「内城」で囲まれた旧市街があります。乙女の塔は、12世紀に建てられた楕円形の見張りの塔で、好きでない男との結婚を押し付けられた王女が塔の上からカスピ海に身を投げたという伝説も残っています。中央広場を中心に、ゾロアスター、ササン、アラビア、ペルシア、シルヴァン、オスマン、ロシアなど多彩な文化の影響を受けたアゼルバイジャン建築を代表する歴史的建築物が数多く残っていて見ごたえがあります。

              旧市街を取り囲む城壁が見えてきました。
                 

シルヴァンシャー宮殿内にあるモスクと見張り塔  入口の門近辺
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15 世紀に建てられたシルヴァンシャー宮殿。居住エリアやモスク、ハマムと呼ばれる蒸し風呂などで構成されています。
建物の上部は、18 世紀のロシア軍の攻撃で大きく破壊されましたが、今でも繊細な唐草
模様の浮き彫り装飾などを建物に見ることができます。

霊廟に刻まれた文字
          
シルバン・シャフ・ハーン家の霊廟
ここは「セィード・ヤヒーヤ・バクーヴィ」と言う科学、心理学などの学者と王家の墓
          
モスクの内部
          
ハマム跡(浴場跡)
          
乙女の塔
12世紀に城壁の一部として建造。高さ約30メートル。
          

迷路のような小路を通って昼食場所のキャランバンサライ(隊商宿)スタイルレストランに向かいます。
 
       

城壁には複数のゲートがあったそうですが,最も重要なゲートはシェマハ門であったそうです。現存の門は12〜14世紀に作られたもの。東西を行くシルクロードのキャラバンは必ずここを通ったそうです。
          
お土産物やさんで売られていたオイルで書かれた絵
          

キャラバンサライ(隊商宿)スタイルのレストランで昼食をいただきました。

バクーの旧市街にはシルクロードの中継点として栄えた名残のキャラバンサライがあります。

           
          

お食事場所は変わっても、コーカサス3か国で頂いたお料理は. ほとんど同じような感じの物でした。 以前旅したウズベキスタンとよく似た感じのお料理が多いようにおもいました。
    

昼食の後、ガバラに向かいます。