フィリピンの旅   マニラ

1日目
冷たい雨が降る春寒の東京を後に羽田から飛行機で約4時間半 33度の暑いマニラに到着。

到着予定は13時30分でしたが、出発が1時間半近く遅れた為 マニラについたのは15時過ぎになってしまいました。

日本とマニラの時差は−1時間。

空港にはマニラのガイド、シンさん(女性)とドライバーさんが迎えに来てくれていました。
暑いのでホテルにチェックインをし、少し疲れをとった後、マニラ市内の観光です。 
 
乗合タクシー ジプニー が町中を走っています。お客は後部の開口部から乗降します。
乗客があふれるような場合は後部にぶら下がる客が出たり、屋根に乗り込んだりすることもあるそうです。
ジプニーは、小型貨物自動車からの改造で造られることが多く、もともとは第二次世界大戦後にフィリピン駐留アメリカ軍払い下げのジープを改造して製作されたのが始まりです。
レトロで素敵な外観は見ていて飽きません。
         
         

メトロ・マニラの交通規則
マニラ市内は車のナンバープレートの末尾番号により、「一定の曜日は走ってはいけない」という規則があるそうです。
規制される時間帯は、7時〜19時。それ以外の時間はどの車両も自由に走行できます。土、日、祝日は規制がありません

輪タクシー(トライシクル)も多く見られます。
         
リサール公園
リサール公園は、58ヘクタールほどの緑豊かな公園です。
ホセ・リサールは、スペインの植民地時代の1861年6月19日に生まれたフィリピンの国民的英雄です。 彼はスペインやパリなどで医学などを学びました。その後、彼はフィリピンへ帰り、政治運動の精神的リーダーとなりました。 医師、著作家、画家、学者でもあった彼は志半ばにして1896年に暴動の名目でスペイン軍に捕えられ有罪となり、1896年12月30日に処刑されました。その意志は人々に受け継がれ、フィリピン独立の英雄として現在も愛され続けています。
1949年から1973年にかけて1ペソまたは2ペソ紙幣に肖像が使用されていたそうです。

写真は、ホセ・リサールが処刑された地に建つリサール記念碑。
ここでホセリサールは銃殺刑に処されました。地下に遺体が安置されています。24時間監視する兵士が立っていました。
         
イントラムロスは、1571年にスペインが統治のために構築した城塞都市です。 イントラムロス内に、世界遺産のサン・アグネスチン教会、カーサ・マニラ博物館、マニラ大聖堂、サンチャゴ要塞、リサール記念館などが位置しています。 

サン・アグネスチン教会(世界遺産
世界遺産に登録されたバロック様式のこの教会は1587年に着工され、1606年に完成しました。イントラムロスの中で、破壊されずに建設時のまま残っているのはここだけです。現存する石造りの教会としてはフィリピン最古のもので、祭壇をはじめ、趣向を凝らした内装などは必見。隣接する博物館は古い修道院を利用したもので、聖母子像などが展示されています。
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カーサマニラ
カーサマニラは石畳のルナ通りを挟んで、サン・アグスチン教会の向い側に建っています。イントラムロス内に残る19世紀のスペイン植民地時代の特権階級の家を再現した博物館です。コロニアルスタイルの石の家で、内部にはスペイン統治時代の家具などが置かれ、当時の生活文化を紹介する博物館として解放されています。敷地内には2つのパティオがあり、当時の特権階級の豪華な暮らしぶりが偲ばれます。
現在はホテル、レストラン、カフェや骨董店もあります。

内部は撮影が禁止されていました。
         

マニラ大聖堂
マニラ・カトリック大司教が本拠を置き、マニラで最も重要な教会です。最初の建造は1581年ですが、たび重なる天災や戦争などで破壊と再建を繰り返しました。現在の建物は、バチカンの援助を受けて1958年に再建されました。サイド・チャペルのモザイクや入口上部に聖歌隊用のスペース、東洋で最大級とされるパイプオルガンは必見です。
         
マニラ大聖堂を見学したあと、サンチャゴ要塞の見学です。
サンチャゴ要塞
サンチャゴ要塞はイントラムロスの北西の端にあり、パシグ川に面しています。スペイン人が城塞化し、その後、アメリカ統治時代に使用され、日本軍占領時代はここに司令部が置かれました。今も地下牢、水牢跡などが残っています。独立運動の英雄ホセ・リサールがスペイン軍により処刑されるまでここに幽閉されていました。現在は公園になっています。
銃痕が残る当時の建物。
         
要塞の守りに使った大砲と砲弾。
         
         
マッカーサー元帥とマニラ市長のアルセニオ
         
サンチャゴ要塞入口
         
リサール公園まで処刑される為に歩いた最後の散歩の道のりが足跡で紹介されています。
         
十字架が建てられた此処には牢獄で亡くなられた人の遺骨が埋められているそうです。
         
要塞からチャイナタウンの眺め(写真下に見える穴は地下牢)
第二次世界大戦末期の1945年2月3日から同年3月3日までマニラに残留していた日本軍とアメリカ軍(連合軍)との間で繰り広げられた市街戦で、サンチャゴ要塞を含むイントラムロスは瓦礫の山と化してしまいました。
この戦いの最中600名もの捕虜がこの要塞のダンジョンと呼ばれる地下牢で、パシッグ川からの水で溺死しています。
         
         
サンチャゴ要塞の一角にはリサール記念館が建っています。詩人、画家、医師でもあった彼の遺品が展示されており、その遺品の中には、処刑の直前に彼が書いた別れの詩がありました。
1888年明治21年)ホセは日本へも来ています。
         
         
要塞見学の後マニラ湾から夕陽を眺める予定でしたが、時すでに遅し、夕日は見ることが出来ませんでした。
                 
          
夕食はショーを見ながら
          
                     
    
                                                          マニラ泊