防衛省市ヶ谷地区見学

久しぶりに「ポケカル倶楽部」のツアーに参加しました。
今回は【社会見学ツアー≪大人の散策ツアー≫防衛省市ヶ谷地区をご案内!】というコース。防衛省の見学の他にホテルでのランチと市ヶ谷亀岡八幡宮の案内が付いています。

防衛省本省のある市ヶ谷地区は、戦前は陸軍士官学校近衛師団の駐屯地、戦時中は陸軍参謀本部が置かれました。戦後は陸上自衛隊東部方面総監部、陸海空自衛隊の幹部学校が設置され、2000年には防衛省本省が移転してきました。日本防衛の要であり、歴史ある場所です。
防衛省入り口では身分証を見せ、チェックをうけた後、立入証を頂きます。見学中はこの立入証を首から下げ、専門のガイドさんに案内して頂きます。
参加したのは13時30分から15時40分の午後のコースです。途中で帰ることは出来ません。
          
                        
庁舎A棟は、日本の防衛の中枢で、大臣をはじめ内部局、統合幕僚監部、陸・海・空各幕僚監部などの中枢機関が使用している官庁最大規模の庁舎です。屋上には都内最大規模のヘリポートがあります。地下には駐車場や中央指揮所があります。
地上19階地下4階と、もっとも規模の大きな建物です。A棟の横に見える大きな鉄塔は、地上高220メートル、鉄塔部分だけでも170メートルの高さがあります。
庁舎B棟の建物と一体となっており、陸・海・空の各自衛隊の通信関係の部隊が使用しています。
          
庁舎A棟前の儀仗広場は、皇族や国賓などが、防衛省を公式に訪問または視察する場合、その途上を警衛し、敬意を表するための儀仗が行われる場所です。

儀仗広場で、儀仗の事や庁舎A棟などの庁舎を外観から説明をしていただきました。

回廊の左側には3本のポールがあり、国旗が掲げられていました。
3本の真ん中に日の丸があると、儀仗が行われない日。外国の要人が来る日(儀仗が行われる日)は、右のポールに国旗があがり、左には来賓国の国旗が掲げられるそうです。この日はアメリカの国旗が揚げられていました。要人が国連の方だと、国連の国旗が真ん中に掲げられるそうです。
又旗には晴天用、雨の費用、祝日用があるそうです。

儀仗広場の横には日本庭園があり、石の月見燈籠、雪見燈籠の2つの灯篭があります。
これは、庭園によくあるただの灯篭ではありません。灯篭は、火をともす役割があるものですが、この石の灯篭に火がともることは、今までも、これからもないそうです。実は、この灯篭 
儀仗広場の下は、旧軍当時に掘った大きな地下壕があり、灯篭は空気とりのためのダクトとしての役割があるからです。
ダクトがあると、航空から偵察を受けた際に壕の場所が特定されてしまうため、灯篭という形にしたそうです。                         
                ↓
          
市谷記念館
儀仗広場と庁舎A棟の前の回廊を通ると、市ヶ谷記念館(旧1号館)が見えてきます。庁舎A棟の建設に伴い解体された陸軍士官学校本部として使われていた旧1号館の象徴的な部分を可能な限り現部材を利用し、移設・復元されました。

館内では、極東国際軍事裁判東京裁判)の法廷として使用された大講堂、 旧陸軍大臣室や陛下の休憩所であった旧便殿の間などを案内して頂きました。

白い市谷記念館の前に建ち、バルコニーを見ると、三島由紀夫楯の会の制服を着て演説をした映像が思い出されます。
三島事件・・・、昭和45年11月25日、日本の作家、三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件。この事件は日本社会に大きな衝撃をもたらしたけではなく、海外でも、国際的な名声を持つ作家の起こした異常な行動は大々的に報道されました。
          
まず「市ヶ谷記念館」に入り、スライドなどで「市ヶ谷台の歩み」という歴史的な説明を伺いました。
市ヶ谷記念館の1階の大講堂。
ここは第二次大戦後の戦後昭和21年5月から昭和23年11月まで、東京裁判極東国際軍事裁判)の法廷として使われた歴史的な場所でもあります。
東京裁判・・・第2次世界大戦終戦後、日本の指導者が戦争犯罪人として連合軍側から受けた裁判のこと。東条英機陸軍大将が、A級戦犯として起訴され、絞首刑の判決が下されたところといえば、わかりやすいかもしれません。
講堂の左側が裁判席、右側は被告席、正面の雛段にはGHQの方と同時通訳室が設けられました。

大講堂の2階席は、東京裁判の際に、一般傍聴席として使われました。

寄木の床材も番号を振って正確に同じ順番で移築したそうです。

正面には、卒業式などで天皇陛下がご臨席いただく玉座が設けられていました。
          
階段
ステージの脇には、天皇陛下専用の階段がありました。見た目にはわかりにくいのですが、陛下が歩きやすいよう、工夫がなされているとのことでしたは陛下専用の階段その横には一般用の階段がありました。
          
市ヶ谷会館大講堂に展示されている遺品等のなかには、太平洋戦争の激戦地、硫黄島で指揮をとった栗林中将の写真や、中将の絵手紙などが寄贈され飾られていました。又軍服や刀、水筒など、戦前から戦後の時代の貴重な品々が展示されていました。
          
          
1階大講堂にある展示品の見学が終わると、2階へ上がります。
写真は大講堂を2階席から写してみました。
          
2階から1階講堂のステージ(玉座)を見てみるとよくわかるのですが、
玉座をより遠くに見せ、奥行きもたせる遠近法が使われた建築となっています。

次に2階の見学。当時の模型がありました。
2階には、旧陸軍大臣室(全陸自東方総監室)として使用された部屋があります。士官学校時代、士官学校長室として使われました。昭和16年以降は陸軍大臣室でしたが、その後は陸上自衛隊東部方面総監の 執務室として使われました。この部屋には、旧1号館の50分の1の復元模型があります。

また、この部屋は三島由紀夫が刀をふるった部屋ということで、その際の刀傷が扉になまなましく残っています。刀傷は3か所、一番下の傷が一番はっきり残っていました。
部屋は三島由紀夫が演説をしたというバルコニーにつながっています。
         

2階には、便殿(びんでん)の間もありました。
士官学校時代、陛下のご休憩所として使われました。
その後は、陸上自衛隊幹部学校長室として使われました。
旧一号館の扉は、すべて内側に開くようになっています。
扉は、人を招き入れるために内側に開くようになっていますが、便殿の間の扉だけは、陛下専用の部屋だけあって人を招き入れる必要がないため外側に開くようになっています。便殿の間は壁が厚く中は空洞になっています。
これは、冷房などがなかった時代に、地下から冷たい空気を上らせて、部屋を涼しくし、陛下が過ごしやすいようにするための工夫なのだそうです。

旧便殿の間には、昭和9年の群馬県の特別演習の写真があります。
昭和天皇陛下、東條英機大将、山本五十六大将などのお顔もはっきり写っているのが確認できました。

続いて自衛隊員の宿舎「隊舎」を通って「厚生棟」へ。 1階はコンビニ、スターバックスコーヒーもあります。 売店ではここでしか買えないバッジや便せん、携帯ストラップなど自衛隊オリジナルグッズが買えます。

防衛省の見学は個人でも申込み可能で、一日2回(午前・午後)実施しています。
*************************************さて、冒頭にも書きましたが、ポケカル倶楽部のこのコース、防衛省見学の前に
ホテルグランドヒル市ヶ谷での昼食
  
   
そして、500年の歴史をもつ市ヶ谷亀岡八幡宮もご添乗員さんの詳しい説明を伺い、お参りすることが出来ました。
市ヶ谷亀岡神社はそれほど大きな神社ではありませんが境内社として 茶ノ木稲荷神社、金刀比羅宮出世稲荷神社がありました。

中でも茶ノ木稲荷神社は都内でも指折りの古い稲荷神社で眼病の平癒では全国的に有名な神社だそうです。
          
          
          
          
          
半日コースでしたが、貴重な体験をすることが出来ました。

 ポケカル倶楽部の≪大人の散策ツアー≫防衛省市ヶ谷地区コースは 4,980円