[北欧の旅 コペンハーゲンへ

昨日北欧の旅から帰国しました。
少しずつ今回の旅の思い出を書いて行こうと思います。

1日目午前11時過ぎ、フィンランド航空AY-074便で成田を出発し、約10時間のフライトで午後3時頃フィンランドの首都ヘルシンキに到着。AY-667便に乗り換え、約2時間のフライトでデンマークの首都コペンハーゲンに到着、
この日はコペンハーゲン空港からわずか 7 km のラディソン ブル スカンジナビア ホテルで一泊。
サマータイムで時差は-7時間。
                  
          
2日目   コペンハーゲンデンマーク)前半
今日からいよいよ観光の始まりです。
コペンハーゲンは、シェラン島 の北東部に位置し、約50万人(広域の首都圏では約108万人)が住んでいます。この街は、12世紀にロスキレのアブサロン司教が要塞を築き、商人(コペン)の港(ハーゲン)を興したのがはじまりです。現在も港湾都市として重要な拠点になっています。
             宿泊したラディソン ブル スカンジナビア ホテルの部屋からの眺め        
        
          
ニューハウンバスはアマエリンボー宮殿に向かって走ります。
途中車窓から見える運河に沿ってカラフルな木造家屋が並ぶエリアがニューハウンです。
かつては、長い航海を終えた船乗りたちがくつろぐ居酒屋街として賑わいを見せていました。
 
ニューハウンは、アンデルセンが愛した場所としても知られています。
彼はこの界隈に三度居を構えたそうです。
        
アマリエンボー宮殿アマリエンボー宮殿は冬の王宮で、8角形の広場の全周に配された4棟のロココ調の建物です。1794年に当時の宮殿だったクリスチャンボー城が炎上したため、4人の貴族のマンションを宮殿としました。

4つの建物のひとつがクリスチャン8世王宮殿で、アマリエンボー博物館として一般公開されています。広場の中央にはこの宮殿の造営者であるフレデリク5世の騎馬像があります。青いドームは、フレデリクス教会です。
        
毎日、午前11時30分になると近衛兵がローゼンボー城を出発し、正午にはアマリエンボー宮殿の前で衛兵交代が行われます。運よく交代の様子を見ることが出来ました。

王室の威厳を表す為 近衛兵はピシッとした動作です。
だらけた態度を見せると体罰が科されるとか・・・・
        
アマリエンボー宮殿は外観の修理中の為一部しか見学できませんでした。

オペラハウス
アマリエンボー宮殿の対岸には斬新なデザインのオペラハウスが見えました。2005年にこけら落としをした新オペラハウスは総工費50億円を費やしたそうです。文化関係ではデンマーク最大の建築プロジェクトだったこの建物はデンマークを代表する建築家ヘニング・ラーセンの最新作です。
        

人魚姫の像
人魚姫の像はハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話・人魚姫をモチーフにしたブロンズ像です。人魚姫の物語を演じたバレエに感銘を受けた、カールスバーグ醸造所の創立者の息子カール・ヤコブセンが1909年人魚姫の像の制作を要請し、彫刻家エドヴァルド・エリクセンにより制作され1913年8月23日公開されました。

像は幾度かに渉って損壊され、その度に修復されているなど、近年では芸術テロの対象となっています。
ブリュッセルの「小便小僧」とシンガポールの「マーライオン」に加えて、コペンハーゲンの「人魚姫」が
世界三大がっかり」にあげられているそうですが、ご対面した感想  ロマンを秘めた100年を経たこの人魚姫像やはりなくてはならない物です。
        

クロンボー城
クロンボー城は2000年に、ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されました。デンマーク語で「ボー」は「城」を意味し、デンマークでは単にクロンボーと呼ばれています。
        
このお城は北欧ルネサンスを代表する傑作で、シェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台「エルシノア城」として知られています。別名「ハムレットの城」とも呼ばれ、世界中から多くの観光客が押し寄せる。「エルシノア城」はクロンボー城のあるヘルシンオア の地名を付けたもので、発音の違いでエルシノアとなっています。

通行税を取る城塞
四稜閣ともいえる菱形をしたクロンボー城は、北海とバルト海を結ぶヨーロッパ海運の大動脈であるエーアソン海峡の僅か幅4kmの最狭部にあり、スウェーデンに対峙して、国境警備に当たる要衝となっていました。
エーアソン海峡を通過する船舶は、この海峡最狭部で検問に遭い、通行税が徴収されました。
一方的な通行税の徴収は、ヨーロッパ諸国をはじめアメリカにも評判が悪かったのですが、 1850年に廃止されるまで、全て王の収入として国家予算の三分の一に当たる莫大な富をもたらし、数百年の間デンマーク王国の経済的基盤として絶対王政を支えました。
        
フレデリクスボー城
宮殿はパラス湖に浮かぶ3つの小島の上に位置しており、バロック様式の大きな庭園に隣接しています。
フレデリクスボー城は、1600年代にデンマークノルウェー国王フレデリクス2世がエスロム湖の貴族の館を改築して築いた城を、息子のクリスチャン4世が60年を要して改修し、今の姿になりました。

その後城は1859年の火災で消失したが、デンマークビールで有名なカールスベア財団のカールスバーグが、王家の住居とはせず、博物館に変更するという条件で復興資金を提供しました。
現在では国立歴史博物館となり、デンマークの歴史が誇る貴重な装飾品、絵画、宝物などが展示されています。
現在の城はスカンディナヴィアで最も大きなルネサンス様式の宮殿となっています。
        
        
お城正面には大きな噴水があります。建設当時、デンマークスウェーデンノルウェーに多大な影響を及ぼしていたことを示すために、クリスチャン4世が海神ネプチューンを噴水最上位に置かせたそうです。
        
        
        
        
螺旋階段の壁には、様々な紋章が描かれた楯が飾られています。
        
大広間
        
十字勲章の展示です。 デンマークでは、勲章を賜るのは一代限りの栄誉とされ、それを記念して、家の紋章と勲章の種類を描いた盾を城内に飾る習わしがあります。 国家に功のあった人は、身分に関係なくダネブロー勲章大十字章が授与されます。
                 
          
王侯貴族の勲章
                  
                 
国立歴史博物館には、デンマークマルグレーテ2世女王陛下の75回目の誕生日を記念して、
女王の公私に渡る生活の紹介とドレスが展示してありました。
                 
城内から見た庭園。 フランスの造園を見習って造られた見事なバロック庭園です。
        
ガイドさんの丁寧な説明を聞きながら城内を廻ります。
肖像画も沢山ありましたが、やはりガイドさんの説明は無くてはならないものです。             
                  

「ルイーセ・アウグスタ王女」の肖像画を前に、彼女が辿った数奇な運命のお話も伺いました。
デンマーク王女で、アウグステンボー公フレデリク・クリスチャン2世の妃。
公式にはデンマーク王クリスチャン7世と王妃カロリーネ・マティルデの娘とされたが、実際には侍医で事実上の摂政であったフリードリヒ・ストルーエンセが父親であったと広く認められています。

18世紀後半のデンマーク王室に起きた王と王妃、侍医に実際に起きた出来事は、映画「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」になっています。
                  「ルイーセ・アウグスタ王女」                   
        
いつかこの映画も観なくては。                    

素晴らしいお城の見学の後はストロイエ通りの一角にある「Hereford Village」で昼食
                 

北欧料理の代表ミートボールは大きく、ふんわりとして口当たりが良く美味しく頂くことが出来ました。
                
昼食の後はストロイエ散策、そして130年の歴史を誇る北欧の大型客船DFDSシーウェイルズでオスローに向かいます。