キューバの旅  ハバナ

2日目  3
へミングウェイが通ったバー「フロリディータ一」ラ・フロリディータは、ハバナオビスポ通りの近くにあるバーです。
キューバを代表するお酒「ダイキリ」はラム酒、ライムジュースと砂糖(シロップ)を混ぜてつくるカクテル。
ヘミングウェイは大の「フロリディータ一」のダイキリファンで、1日に10杯以上飲んだとも言われています。
        

お店の入り口付近に、ヘミングウェイの等身大の銅像があり、その横で写真を撮るのが定番なのですが、沢山の人がいるので、記念撮影するのもひと苦労です。

写真奥に見えるのがヘミングウェイの像  
        
ヘミングウェイは「海流の中の島々」で、その味を 「飲むほどに粉雪蹴散らしながら、氷河を滑降する心地」 と描写しています。シャーベット状のフローズンダイキリはアルコール度数も多いようですがかき氷のようなカクテルで美味しかった!
ヘミングウェイはシロップ抜きで愛飲していたそうです。
   

メキシコからの観光客はダイキリを飲んで大盛り上がり、店内は凄い騒ぎでした。
        
アイスクリームで有名なお店コッペリア
キューバでアイスクリームといえば「コッペリア」、というくらいに有名なアイスクリームのお店で、支店もたくさんあるそうです。
私達のツアーはココタクシーに分乗してハバナにある本店に向いました。
ところが私の乗ったココタクシーは1台だけ迷子に!少々ハラハラしましたが無事到着。
        

        
映画「苺とチョコレート」の舞台にもなった、アイスクリーム・ショップは大きな公園の中ありました。2階建ての大きなビルがあり、その周りにいくつものカフェテラス、スタンドなどが点在していて、まるで公園全体がアイスクリーム・ショップのようでした。
        
地元客と観光客が買えるエリアは分かれていて、値段も何倍もの差があります。
私は映画のように苺とチョコレートのアイスを注文したのですが、メニューにはなかった為、苺とバニラを注文。お味は普通に美味しかったのでした。
  
クラシックカーに乗ってキューバではアメリカに統治されている時に大量流入した1940年〜1950年代のアメ車が大切にメンテナンスされていて今もタクシーとして使われています。私達から見たらなんとも贅沢な光景です。
        
        
クラシックカーに乗ってホテルに戻りますが、途中新市街の中心の革命広場に立ち寄りました。
革命広場
革命広場の一角。内務省の壁面にはチェ・ゲバラ
ゲバラに関しては又詳しく触れます。何しろどこに行ってもチェ・ゲバラ
        
隣の情報通信省の壁には、2009年に設置されたカミーロ・シェンフエゴスの肖像。
        
カミーロ・シェンフエゴスはフィデル・カストロラウル・カストロチェ・ゲバラと共にキューバ革命を主導した一人で、富裕層であったカストやロゲバラに比してカミーロは庶民階層出身の人物として知られています。
はじめは画家を志していましたが、1953年のモンカダ兵営襲撃に参加し、革命の間チェ・ゲバラと一緒に反乱軍を率いました。革命の勝利後にシエンフェゴスは軍隊の最高指揮官に就任し、反革命的な暴動と戦い農地改革の実施に大規模に関与しました。
彼は共産主義者ではなく、無政府主義者でした。また革命の間彼が率いた軍隊も共産主義ではありませんでした。 しかし特にチェ・ゲバラから敬愛され、ゲバラは自分の息子(長男)に「カミーロ」の名をつけています。
ゲバラらと重要な役割を果たしたカミーロは、革命後の1959年、乗っていたセスナが墜落して死亡しました。モニュメントは死後50年を記念して取り付けられたものです。

革命広場の中心そびえる、ホセ・マルティ記念博物館。
「革命広場を見下ろすようにして建つ、高さ109mの星型の塔。塔は、博物館になる前は共産党のオフィスとして使われていたもので、星型は独立を意味しています。オープンしたのは、ホセ・マルティが亡くなって101年目にあたる1996年末。ホセ・マルティは1853年ハバナに生まれ、1868年の第一次独立戦争に16歳で参戦。その後欧米での亡命生活を送りながら詩人として名を知られるようになりますが、1895年に革命党を結成し、第二次独立戦争を指導したキューバの英雄です。  
        
ホテルに戻り夕食を頂いた後トロピカーナショーを観に行きました。
トロピカルショーテーブルにはハバナクラブの7年ものの瓶が配られます。キューバ産のコーラとあわせて、ラムコークを飲みながらショーを楽しみます。(飲める人はですが・・・・・私はひたすらおつまみのナッツを)
        

        

        

        

        
とても見ごたえのある華やかなショーでした。