熊本城の桜

一心行の大桜 桜 ゴールデンスペシャル」バスツアー 続編    熊本城の桜

いよいよ熊本城です。

熊本城は加藤清正が、1601年(慶長6)から7年の歳月を費やして築城した、日本三名城のひとつです。城内の桜は、1955〜75年(昭和30〜50)頃に植栽されたものが多く、開花時にはライトアップされ、夜桜を観賞できます。ソメイヨシノを中心にヤマザクラ、ヒゴザクラ(肥後桜)など約800本が植えられています。

          

お城と桜

          

希望者だけ城内に入ることになっていましたが、ツアー参加者全員が城内に入ることを希望しました。駐車場まで戻る時間を考えると、自由時間が短いので、添乗員さんに数人で見学時間を少しでものばしていただけるように交渉。交渉成立、10分間だけ延ばしていただけました。
この10分間がとても貴重。結果、天守閣と本丸の両方を見ることが出来ました。

          

          

城内の宇土櫓の前に奇妙な形をした石がありました。

          

石の横に説明が書いてありました。

          

「五郎の首掛石」
勇将木山弾正の遺子と伝えられる横手五郎は、今の熊本市横手町育ったので、その名がついたと言われる。父弾正は、天正十七年(1589年)の天草一揆のとき、志岐麟仙に味方して仏木坂で加藤清正に一騎打ちをいどみ武運つたなく戦死した。そこで、五郎は成人ののち清正を仇と狙い、築城人夫に身をやつして、いつかは父の恨みを晴らそうと考えていた。ところがその間に彼の素性は見破られ、井戸掘りをしているとき生埋めにされたという。この石の重さは1800キログラムであるが、築城当時に五郎が首にかけて運んだものと言い伝えられている。

熊本城の中には、こうしたちょっとしたエピソードに彩られた場所があちこちにあるそうです。

          

清正が建てた熊本城の天守閣は、明治10年(1877年)、西南戦争の年に焼失してしまいました。現在の天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、昭和35年(1960年)に再建されたものですが、瓦の列や数まで細部にわたって忠実に再現しており、見ごたえがあります。大天守は高さ16間2尺(約32m)、3層6階の建物で、2層の千鳥破風(ちどりはふ)の上に唐破風(からはふ)を備えています。各階の白壁は軒下部分を除いて、黒の下見板で囲まれており、黒を基調にしたどっしりとした風格が感じられます。

          

天守閣内には城下町の模型,加藤清正に関しての資料、天守閣の模型図などが展示されていました。見学時間が少ないけれど、展示品も見たい。効率よく見学しながら早足でまわります。

6階までの階段を上がりました。天守閣から眺めた景色は格別です。
右下に写ってるのは南大手門です。

          

桜の花と天守閣 絵になりますね。

          

次は本丸御殿
熊本城を築いた加藤清正は、豊臣秀吉の血縁にあたります。9歳の時に秀吉の小姓となり、数々の功績をあげた後、27歳の時に肥後の国に入国。文禄・慶長の役では秀吉軍の中心として活躍しましたが、関ヶ原の戦いでは石田三成らとの確執もあり東軍につきました。華やかな武勲の傍ら、清正は国の治水、農地の開発などに力を注ぎ、民に慕われた名藩主でした。その清正が、築城の際に天守閣と並んで心血を注いだのが本丸御殿です。
本丸御殿は行政の場や生活空間として利用された所であり、御大台所や藩主会見の場として鶴の間、梅の間、若松之間、昭君の間の他に茶室、家老の間などがあります。藩主会見の場は格式により使い分けられたそうです。 闇(くらが)り通路は本丸御殿への正式な入り口です。
御大台所は火を扱うために小屋組構造の天井は大きな梁(赤松の丸太)が屋根を支え吹き抜けになって床には囲炉裏が二つ。大広間には鶴之間(60畳)の一角にパソコンが用意してあり見物に来た人が熊本城の情報を得られるのですが、なんだか場違いのような気もしました。、梅の間(35畳)櫻之間(28畳)若松乃間、昭君の間の他に茶室や家老之間などがあります。

暗がり通路       (道案内の?忍者がいました)
          

復元されたばかりなので,まだピカピカです。
          

『鶴之間』からは、『梅之間』、『櫻之間』、『桐之間』と続き、一番奥には藩主が家臣と対面する際に座った『若松之間』が見えます。さらにその奥には、藩主の居間であり、接客の場であった『昭君之間(しょうくんのま)』が控えています。本丸御殿の中で最も格式の高い部屋で、床の間や違い棚などを持つ書院造りとなっています。
          

若松之間
          

昭君之間
『昭君之間』のなかで一際目を惹くのは、壁、襖、天井に描かれたきらびやかな障壁画です。金箔を重ねた下地に、極彩色の岩絵具で描かれた女性は、中国の前漢時代、匈奴に嫁がされた悲劇の美女・王昭君。この部屋だけで10cm四方の金箔が5600枚も用いられています。(横には抜け穴が用意されていたそうです。)
          
          

本丸御殿の廊下から外を眺めると春の宴が催されていました。 
          

大御台所(おおおんだいどころ)
 
食事が作られていた場所で、煙がこもらないよう吹き抜けになっているため、小屋組みをそのまま見ることができます。上部には煙を逃がす窓が開いています。
          

本丸を出たころには星がきれいに輝いていました。
          

熊本城は一度訪れてみたいと思っていたお城でした。この季節を選んだため、お城と桜の美しいコントラストを眺めることが出来ました。

今回のバスツアーでは、4か所の桜の名所でいろいろな桜の表情を堪能することが出来ました。

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そうそう今回の旅の7大ポイントの5.6.7番目は美味しいお土産でした。

                    

                    至れり尽くせりの今回のバスツアーは阪急交通社の企画