旧国鉄宮原線遊歩道ウォークと杖立鯉のぼり祭り

昨日「旧国鉄宮原線遊歩道ウォークと杖立鯉のぼり祭り 」という日帰りバスツアーに行って来ました。

博多駅(9:20)---熊本・小国(ゆうステーションスタート…北里柴三郎記念館(入館料は旅行代に含む)…北里駅ゴールの約4.1kmウォーキング。昼食)---入浴---杖立温泉鯉のぼり祭り)---博多駅(18:25頃)

絶好のウォーキング日和に恵まれ、ゴールデンウィークに入ったのにもかかわらず、博多から休憩時間を含め約2時間半 バスほぼ予定通りに小国に到着。

いよいよ旧国鉄宮原線遊歩道ウォークのスタートです。

宮原線(みやのはるせん)
国鉄宮原線大分県玖珠郡九重町恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅まで26.6㎞を連絡していた線路でした。35年と言う工期をかけて、昭和29年に開通した線路で、通勤、通学や木材の搬送に使われていましたが、国鉄再建法により、赤字路線の廃止が始まり、昭和59年に九州では最初の廃止になりました。
線名の宮原(みやのはる)とは、終点の肥後小国駅のある阿蘇郡小国町の大字名です。

道の駅小国ゆうステーション
スタート地点は道の駅小国ゆうステーションにある肥後小国駅跡です。レールや腕木式信号機が残っています。
          

道の駅から国道387号を少し歩き、いよいよ宮原線の跡を歩きます。
          

かつてレールが敷かれていた場所は敷石がなければ鉄道の跡とはわかりません。
しばらく歩くと宮原トンネルが見えてきました。ひんやりとした冷気が流れてきます。
          

トンネルの入り口と出口には照明のスイッチが付いてい居ます。今回は多くの人が歩くのでトンネル内の照明はつけられていました。 
          

薄暗いトンネルはジャリッジャリッと敷石を踏む足音が響きます。ここには かつて枕木を固定していた釘などがまだ残っているようです。トンネル内の側面には人1人分のへこみがあります。何だか当時にタイムスリップしたようでわくわくしながら歩きました。
          

トンネルを抜けると、再び林。林に咲く小さな花々などを楽しみながら歩きます。
廃線跡ルートは九州大学との一環調査で森林浴の効果が測定されているそうです。
廃線跡の沿線には樹高30mを超える針葉樹林もあり、その廃線跡側は枝を残した林衣という珍しい
管理がなされているため、見上げるとあたかも空が左右の針葉樹林のふちに切りとられた空の線路を形成しているように見えるるのです。
  
          

幸野川橋梁
いよいよ幸野川橋梁です。鉄筋の代わりに竹を入れた「竹筋橋」といわれ国の有形文化財に登録されています。
戦争準備のために極端な鉄不足であったために、コンクリートの中に鉄筋を入れる代わりに竹を入れたと伝えられています。
          
眼下に里山の景観が広がります。高い所からの眺めは最高!
          
渡り切って少し離れてみると、どのような橋梁を歩いてきたのか全貌が分かりました。
          
下に降りて眺めてみました。機能美を追求したアーチ橋はとても美しく、竹筋でどのように作られ、強度が保たれているのか想像もできないほど高い橋です。中央の4つが直径20mの半円を描き、樅木川の清流や道路、水田を跨いでいます。アーチ直径の大きさでは線区でも最大だそうです。
          

再び林の中を歩きます。轍の跡がかつての面影を感じさせます。
          

初めて見る奇妙な花。調べると「マムシグサ」とわかりました。偽茎の模様が「マムシ」のように見えることから付けられたそうです。
          

山の上から切り倒した杉を運んでいる所に出会いました。小国はシイタケ栽培も盛んでシイタケ栽培のほだ木に適したクヌギも植えられていますが、杉も沢山植えられていて この伐採した木は建築用に出荷されると伺いました。
          

しばらく歩くと北里トンネルが見えてきました。
          
さあトンネルを抜けるといよいよゴールまであと少し。
          

北里柴三郎記念館
この施設は生前、小国町出身の博士が大正5年に建てた貴賓館、北里文庫があった敷地に、昭和62年、博士の学問を受け継ぐ北里研究所、北里学園が中心になって博士の生家の復元修復を行うとともに、北里文庫の建物を利用して博士に関する遺品などを陳列し、小国町に寄贈されたものです。 
貴賓館
北里文庫建設と同時に建てられた和風木造2階建物で、小国杉の大木によって建てられています。
          
                            内部
          

博士の生家
明和元年(1764)総庄屋5代目北里兵衛家から分家して坂下屋敷と称していましたが、明治28年(1895)両親を東京に呼び、空家となったため座敷の2間を残して他は取り壊しました。現存するのは
その一部です。
          

北里橋梁
昭和13年頃にできた橋です。木魂館(もっこんかん)や北里柴三郎記念館のすぐ近くに架かっています。曲線平面を有する径間長10mの充腹式コンクリート造5連アーチ橋。鉄材節約という当時の国策に応じた一連の無筋コンクリート造アーチ橋の一つで、2径間を跨道橋とし,現在は歩道橋として活用されています。     
                               
旧北里駅
旧北里駅跡には当時のホームの石垣が残っています。 
          
                         
木魂館
北里柴三郎博士の「学習と交流」を次代につなげることを目的にたてられた研修施設です。
ここで 地元の方たちが地元の食材を使って作って下さったお弁当と豚汁を頂きました。
ウォーキングの最後、北里柴三郎記念館から木魂館までは急な階段が2か所もあり、心地よい疲労感。しかも1時半を過ぎていたので、芝生の上で頂いたお弁当は美味しかったです。
                                
昼食後温泉に入りました。
杖立温泉に行くのだとばかり思っていましたが、入浴は木魂館の北里バラン温泉でした。
泉質は含鉄−カルシュウム・ナトリウム−硫酸塩・炭酸水素塩泉(中性 低張性 低温泉)
効能は神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺など
「バラン」の名前の由来は折り詰め弁当やお寿司についてくる緑色の葉っぱ(飾り)と、建物のデザインが似ていることからと言う面白い理由からだそうです。
          
歩いた後の温泉は最高でした。

今回のツアーの続き「杖立温泉の鯉のぼり祭り」は又ご紹介します。