上陽町に行こう(其の一)

昨日『上陽町に行こう』というツアーに行って来ました。

博多13:00−石橋巡り―ホタルと石橋の館 館内見学&お買い物−おぼろ大橋で紙コプターを飛ばそう!−そば打ち体験−八女茶のミニ教室―夕食−ほたる観賞−博多22:15

八女市上陽町は、福岡県の南部に位置し筑後平野に突き出した耳納山地の南麓に位置しています。町内を星野川が流れ、その支流である横山川と下横山川が町南部を西流しています。
清流沿いには約5,000匹のゲンジボタルなどが生息しています。上陽町の主な産業は農業です。八女茶は有名ですが、他にもみかん、いちご、ナス、米、シイタケ、ブドウなどを作っています。

九州に来て私が驚いたことは 素晴らしい石橋が数多く現存している事でした。
九州は大陸からの文化を取り入れる場所であったことから、江戸時代に石橋の文化が発達し、その時代に建設された石造りアーチ橋は、今もなお多数が、その形をとどめています。

そして何よりも石の文化を発達させたのは今から8万年前の阿蘇山の大噴火による火砕流が九州一円を蔽い、堆積した「長野石」と言われる阿蘇凝灰山。加工しやすい石なのでこの石を使った文化が発達してきたのです。

上陽町には明治から昭和初期までに造られた石橋が13あります。中でも有名なのは星野川の上流から順に一連から四連までの石橋郡が架かっており「ひ・ふ・み・よ橋」の名称で親しまれています。

八女の石橋を手がけた石工集団
通潤橋や多くの橋を手掛け全国的にも有名な石工棟梁 橋本勘五郎氏。明治26年勘五郎が八女の地を訪れ地元の石工達を指導しました.肥後の種山石工集団からも技術を学び長野石工、辺春へばる石工と言われる石工集団が出来ました。現在八女の残っている石橋は明治から大正時代に彼らによって架けられたものです。

博多から約1時間30分(休憩時間含め)バスは上陽町の一番目の見学場所、洗玉橋に到着。

上陽町を案内して下さる方は、NPO法人グラウンドワーク福岡の辻田さん、八女市役所上陽支所の、高瀬さん、西村さんです。

洗玉橋

石工は 橋本勘五郎  通潤橋や東京の日本橋、そして皇居二重橋などを手掛けたことでも有名な石工です。
竣工1893年明治26年) 橋長32.5m 径間22.5m、幅5m

          

石橋の施工方法の説明をしてくださいます。

          

石橋の緻密さを見ていると惚れ惚れします。
当時、木製の端を架ける計画があったのですが、橋本勘五郎の技術への信頼から、北川内村民の強い要望により石橋架設に変更され、郡費村費の外に北川内村民222名の一般寄附により建設されたそうです。以来多くの洪水にも動じないで現在に至っています。

村民の判断の正しさにも頭が下がります。

壁石は種山石工伝統の自然石の乱れ積みの技法。石橋の左右側に鞘石垣や袖石垣が使われ、両岸部分は裾広がりになっています。

橋にある宝珠紋を触ると願い事が叶うと言うことで、ツアー参加者全員触らせて頂きました。
          

欄干,挟石等は、数回にわたり造り替えられていますが、最近では1995年に阿蘇の擬灰岩の石材で造り替えられています。不明だった元の欄干等数点は竹藪の中から発見されホタルと石橋の里公園に飾られていました。

          

              「ホタル石橋の里公園」にある見つかった洗玉橋の欄干↓
          現在の姿
                     
この美しさ! 
          

          

寄り口橋に行く前に、ホタル橋を渡り、ホタル公園に立ち寄り、不明だった洗玉橋の発見された親柱と欄干の展示物を観ました。 (欄干の写真は上)
 
            

寄口橋 

石工は八女出身の山下佐太郎
竣工1929年(大正6年)橋長44.0m 径間16.5m 橋幅3.6m 拱矢4.3m

          
古い写真も示しながらの説明。
                    

寄口橋のすぐ近くに先ほどの公園と「ホタルと石橋の館」があります。見学の後は(ホタル石橋の館」の見学とお買い物の時間がありました。八女茶、地元の新鮮な野菜、手造りのお味噌などを販売しています。)九州に来てからは地元の特産品に魅力あるものが多く、ツアーに参加する時には大きなバックを持参するのですがそれでも足りません。

この後バスでほんの少しだけ移動、再び橋の見学地へ。
(三連橋、四連橋の順にご紹介します。実際は四連橋を先に見学しました)

大瀬橋(だいぜばし)
石工は萩本卯作
竣工1917年(大正6年
橋長45.5m 径間12m 橋幅3.7m 

          

この石組も精密に綺麗に出来ています。
拡大してみました。

          

車の交通量の増加に伴い それまでの橋幅では間に合わなくなり、川の下に別の橋が架橋されています。三連の橋の後ろに少し見えますね。

大瀬橋自体も、路面部分はコンクリートで増幅されています。その上を歩いている時は古い橋とは感じませんでした。残念にも思いますが、でも このようにしてでも、町の方たちは古い橋を壊さずに大切に守っていることがわかります。
          

宮ケ原橋(みやがばるはし)
石工は豊島虎次郎
竣工1922年(大正11年)
橋長46m 径間9.0m 橋幅3.6m 

上陽町を流れる星野川の最下流に位置する宮ヶ原(みやがばるばし)橋。星野川下流に行くほど川幅も広くなり、この橋は4連アーチの石橋で橋長も 46mと、上陽町で一番長い石橋です。
          

建設当時
          

どの石橋も美しく見れば見るほどどのようにして計算し、造られたのかを想像すると
魅了されます。

最後に足場を取り外し完成した時の歓声が聞こえるようです。
          

素晴らしい石橋見学を堪能した後は・・・・・・・・。
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おぼろ大橋です。

朧大橋(おぼろおおはし)
竣工2002年
全長:293m  高さ:70m アーチ支間:172m 総工費:43億円とも60億円とも言われています

朧大橋の上から紙コプターを飛ばす体験をした後、ふるさとわらべ館に行く予定です。

朧大橋(おぼろおおはし)は、福岡県八女市上陽町下横山にある、福岡県内では最大のアーチ橋で、2002年の土木学会田中賞の作品部門に選定された素晴らしい橋です。


八女郡と久留米都市圏とを結ぶことを目的に建設された橋ですが、周辺の道路は狭隘道路のため、交通量は皆無に等のです。(通行量は1日2000台を見込んでいたのですが、実際は200台と10分の1)そのため、現在は専ら観光用施設としての役割が大きいそうです。

バスはとても狭い道をのぼって行きます。何だか五家荘に行くような辺ぴな雰囲気の所です。途中には廃校になった小学校があります。

福岡七区選出の国会議員古賀誠衆議院議員が後押しして建設されたと言われているので、朧大橋は「まことばし」と呼ばれているらしい・・・・。

突然巨大で美しい朧(おぼろ)大橋という素晴らしい橋が現れました。とりあえず橋を作って、そのうち道を造る感じです。

この橋、2008年に民主党菅直人議員が視察に訪れたそうです。
橋の向こう側の道路は未整備で「道が繋がっていない橋」という税金のムダづかいの象徴のような存在だったからです。

菅代表代行は、293mの橋を歩いて渡り視察したそうです。

管氏が視察に来ると言うことで、普段あまり使われていない橋を使われているように見せる為、付近の人たちに通達が出たそうです。

「仕事を休んででも、車で何回も橋を往復するように」

この様な話 面白くてワクワクします。

今回のツアーで一つだけ一寸自分に合っていないなと思っていた 何故そう感じたのかはわからないのですが、「橋の上から紙コプターを飛ばすと言う」私にとっては何故か気恥ずかしく感じる企画。

ところが想像とは全く異なるものでした!

この橋を見ることが出来、この橋から紙コプターを飛ばしてみる経験が出来て良かった!!!

この紙コプター 水に溶け土に戻る紙を使っています。
          

紙コプターを一斉に飛ばしました。急激に高度を下げたと思うと再び舞い上がり70m下に向かい降りておくのですが、想像したよりも長い、長い飛行を続けます。楽しい!

          
皆夢中で、もう一度飛ばしたい希望者多数。余っている紙コプターはジャンケンで勝った人がもう一度飛ばしました。
                 
1年間に2000ぐらいの紙コプターが飛ばされるそうです。

とても楽しく、とても贅沢な?橋を使っての遊びでした。l

この爽快な気分、多くの方にあじわって頂けると良いですね!

          

そして、早くおぼろ大橋が地域の人に恩恵をもたらすようになりますように。

この後は橋のすぐ近くの「ふるさとわらべ館」でそば打ちの体験、八女茶のミニ教室、お食事、そしてホタル観賞とまだまだ続きます。次のブログでご紹介します。