ミャンマーの旅     アウンサンスーチーさんの家

4日目

昨夜深夜に落雷と大きな雨音が聞こえたので、今日は雨だと思ったのですが、観光に出発する頃には晴天。雨季なのに本当に幸運です。

インド人街散策
巨木のもとにしつらえた祠に神様が祭ってあります。これはヒンドウーの神像なのでしょうか。とてもカラフルです。
          

インド人街では金や宝石を売っているお店が目だちました。
          

口の中をスッキリさせる白い薬?を葉に巻いて売っていました。写真を撮らせて頂いたので買ってみました。清涼感のある匂いでした。もちろん口には含んでいません。(100チャット)
          

決して裕福な国とは言えませんが、お店には僧侶に差し上げる日用品のセットも沢山売っています。これは差し上げた人が功徳を積むことになるのです。
          

前にも書きましたが、町の至る所に僧侶の為にご飯を作る大きな鍋が置いてあります。
一般の人々が炊き出しを自ら行っているのです。

朝早くこの場所に来たら僧侶の長い列を見ることが出来たでしょうが、今回はその機会はありませんでした。
          

インド人街を通り過ぎると英国植民地時代にたてられた建物も沢山残っています。水道管はそのころの物をずっと使用しているので、赤さびが出たりしするそうです。
ミャンマーはお金がないから直すことは出来ないとティーンさんが説明します。

建設中で途中で止まったままになっている建物も沢山あります。やはり資金が無く途中で止まっているのです。

女性の修行僧はピンクの袈裟をつけて居ました。
                          

ミャンマー上座部仏教です。戒律を遵守して修行に専念する出家者に対して、在家者である一般仏教徒はこの出家者を守り・発展に貢献することが最高の功徳であると考えているそうです。

寺院の建立・修復に対する貢献、托鉢層への供養などは大きな功徳を産み、幸福をもたらす善業です。ですので出家を希望する者が後を絶たず、出家者が多いのです。

ミャンマーの僧侶は、一生をかけて修行をするのです。そして一生独身を通します。

食事は1日に2回、早朝5時ごろと正午近く。12時以降午後食事はとりません。

映画「ビルマの竪琴」では竪琴をひいていましたが、ミャンマーの僧侶は音楽を聴いたり演奏はしません。

*私が驚いたこと 2つ
ボールペンを落として気付かずにいましたら、遠くから見ていた物売りの人が拾って届けてくれてそのまますぐに去って行きました。発展途上国では珍しい事だと思います。

もう一つ驚いたこと
僧侶の格好をした人が近づいてきて、私に何か話しかけました。
僧侶から話かけることはないと伺っていたので、言われた言葉をティーンさんに伺ったら
「何か下さい」と言う言葉だそうです。偽僧侶がいることも現実なのです。
ミャンマーはとても安全な国と言う印象を受けました。でもやはりいろいろな人がいますね。

                    イギリス時代に建てられたアパート
          
          
          

ヤンゴンの市庁舎のあるあたりは、コロニアル様式の建物が建ち並ぶ一角です。ミャンマーは元イギリスの植民地であったため、イギリス式の建物が数多く残っています。それまでの雑踏とは少し趣が違った街並みを感じさせてくれます。ヤンゴン市庁舎のあるあたりが官庁街となっていて、他には最高裁判所、中央電話局、税関、中央郵便局、いくつかの国の大使館などがあります。

       独立記念碑         最高裁判所          市庁舎
          

昨日バスの中から通学中の学生を見て、ティーンさんは「女子だけの学校です。母親が送り迎えします」と説明をされ、「ミャンマーでは結婚すると子育てなどに専念する為仕事をしないので、自分は結婚せずに仕事に生きると」おっしゃっていました。

制服などを見ると、どうも裕福な家庭の子女のように見えたので「裕福な家庭のお子さんが通う学校ですか」と伺ったら、St.なんとか?Schoolとおっしゃったので、キリスト教の私学なのでしょう。

ミャンマー仏教徒は80%を超えますが、イギリスの統治下時代も長かったのでクリスチャンも人口の5%はいるようです。

結婚するとミャンマーでは女性は子育てに専念するとティーンさんは説明されましたが、どのような階層の家庭の事を説明されているかは定かではありませんでした。

再び歩き出すと目の前にはスーレーパヤーの金色の輝きが目に飛び込んできます。

スーレーパヤーはロータリーの中央にあり、ダウンタウンの中心部に位置します。
          

              スーレーパヤーの近くのヤンゴン
                    
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インヤー湖       アウンサンスーチーさんの家
ヤンゴンで最も大きい湖です。インヤー湖を取り囲む地域はヤンゴン市の中でも最高級住宅地です。

インヤー湖からはアウンサンスーチーさんの家の裏側が見えます.(茶色の屋根)
          

次に表にまわって見学。以前テレビで見た素朴な門とは変わって、しっかりした門になっていました。(アウンサンスーチー氏はこの日はアメリカに 色々な賞を受けるため授与式にいらして不在です。)
          
          

ミャンマー人の名前
ミャンマー人は、姓はなく名前しかありません。
たとえばアウンサンスーチーさんはアウンサン・スー・チーすべて合わせて一つの名前なのです。

アウンサンスーチーの名前は、父親の名前(アウンサン)に、父方の祖母の名前(スー)と母親の名前(キンチー)から一音節ずつ取って、付けられたものです

ミャンマーに住むビルマ民族は性別に関係なく姓を持たないそうです。アウンサンスーチーの「アウンサン」も姓や父姓ではなく、個人名の一部分に過ぎません。彼女の名前は「アウンサンスーチー」です。

またミャンマー人は、生まれた曜日を大切にし、名前を付けるためには生まれた曜日が必要になります。ミャンマー人の名前を見れば何曜日の生まれか分かるようになっているとティーンさんが説明して下さいました。 

ティーンさんはアウンサースーチーさんの大のファン。iPadに沢山の写真を保存していました。

そんなティーンさんが話して下さった事。アウンサンスーチーは3にんの兄弟姉妹。1人はおぼれて亡くなっているそうです。お兄様1人がいらっしゃるそうですが、アメリカの国籍を取得しているそうです。偉大なアウンサンスーチーさんですが、現在この家を含め遺産相続の事で、兄妹で問題を抱えているそうです。ただお兄様はアメリカ国籍なので相続の資格がないと言われているとかいないとか。

軍事政権によって15年間自宅軟禁されていたこの歴史的な家を目の前に、兄妹のごたごたを知り少々複雑な気持ちでした。

彼女もイギリス人と結婚されているので、ミャンマー人はそのことをどう感じているのか知りたかったのですが、伺うことは出来ませんでした。

アウンサンスーチーさんがいつも髪に差している鮮やかな花の髪飾りは再会することなく死別した英国人の夫とかつて誕生日に贈りあった品種だそうです。

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昼食
お昼は飲茶。
この倍ぐらいの飲茶がテーブル一杯出てきましたが、皆で完食しました。

          
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ミャンマー旅行も残り数時間です。

ガイドのティーンさんは雲南省と国境を接する少数民族が住むカチン州出身。内戦の混乱が嫌で
ヤンゴンに来たようです。カチンは現在も内戦状態だそうです。

そのティーンさんから思いがけない一言。軍事政権の事について私がほんの少し触れたら、軍事政権も必要だったと。 とても衝撃な一言でした。

少数民族の多い国なので、その混乱を治めるためには必要だった、と言うようなことをちらっと話し、それ以上はふれませんでした。

もしかしたら軍事政権は最初のころは必ずしも悪い政権ではなく、権力を握るだけの理由はあったのかもしれません。あるいはまだ話す事が出来ない状態にあるのかもしれません。

知りたいことが沢山ありますが、数日の旅行などでは分かるはずもありませんし、現地の方でも立場によって感じ方は異なるでしょう。

いずれにしても一方的な報道だけで物事を判断してはいけないと言う事を今回の旅でも知りました。

今夜の19時10分の飛行機に乗るまで、目いっぱい観光が残っています。

明日はその観光した場所をご報告します。