明後日から行くスリランカのこと

今回の旅では、シギリア・ロックを筆頭に、ダンブッラの石窟寺院など、6つの世界遺産を廻る事を楽しみにしています。

おそらくスリランカの旅は伝統的なアジアの雰囲気が漂よう穏やかなの国と言う印象を持ちながら廻ることになると思います。
                  シギリア・ロック
                  

けれども、この国は1983年から2009年にかけてスリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラLTTE」による内戦が続いていたのです。

そして2004 年12 月26 日のインドネシアスマトラ島西方沖を震源とするM.9.0 の地震に伴う大津波により、スリランカも海岸地方が広く被災し、死者行方不明者数合わせて34,000 人と言う多くの被害を受けたことも、記憶に新しいことです。

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1983年から2009年にかけて展開されたスリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) による内戦の事。

16世紀から沿岸地域を中心に、ポルトガル、オランダと部分的に植民地化されていたスリランカは、1815年 全島が英国の支配下となります。

英国統治の下、行政府官吏としての役割を与えられたのはスリランカの人口の約18パーセントを占めるヒンドゥー教徒であるタミル人であり、英国支配に対立・抵抗を続ける人口の約74パーセントを占める仏教徒シンハラ人を統治する「分割統治」を行います。その結果、シンハラ人は貧しい生活を強いられる一方、タミル人は多くの利権を手にすることとなります。

このことが独立後の民族間確執へとつながる原因になったと言われています。

スリランカ独立
100年以上に及ぶ英国支配の後、スリランカは1948年に英連邦自治領「セイロン」として独立。1951年にスリランカ自由党(SLFP)を創設したバンダラナイケ氏が、分割統治によって社会的に虐げられてきたシンハラ人の利益を尊重する政治姿勢を打ち出したことで、風向きが一気に変わりました。タミル人差別政策は、タミル人の反発を招き、各地で民族間の衝突が頻発することになります。

タミル・イーラム解放のトラ      『イーラム』はスリランカを意味するタミル語
シンハラ人優遇政策が展開される中、1972年公布の新憲法では、シンハラ語を唯一の公用語
明記しただけでなく、シンハラ人の大多数が信仰する「仏教」に特別な地位を与えることを宣言。
さらに、少数派に不利な立法を監視する「第二議院」を廃止した上、英国統治下で1947年に制定された憲法にあった「少数派保護の条項」をほとんど削除しました。
タミル人はこれに猛反発し、民族内での結束を強めて武装組織を次々結成。
1972年 タミル・イーラム解放のトラLTTE」の前身となる「TNT」が組織されます。LTTEはゲリラ作戦を得意とし、自爆テロなどにより、多くの要人を殺害しました。これら武装組織の中心となったのは、当時、高等教育を受けながらも失業状態にあったタミル人青年たちでした。

内戦勃発
1983年 LTTEはゲリラ攻撃を仕掛けて、政府軍兵士13人を殺害します。これをきっかけに暴動が発生。スリランカ国内は、26年にもおよぶ内戦状態へと突入することとなります。

終戦
インド平和維持軍、ノルウェー政府の仲介などにより、停戦に合意するものの解決には至りませんでした。2006年 シンハラ人政府軍は再び攻撃を本格化させ、2009年にはLTTEを壊滅状態に追い込みます。シンハラ人政府は、LTTEへ猛攻撃、重火器での爆撃を行うなど、容赦のない攻撃をし、ついにムライティブという、LTTEの本拠地の町を攻略します。一時は国の3分の1を支配していた LTTE は、拠点となる都市を、ほぼすべて失うまでになりました。

2009年5月 シンハラ人政府は、LTTEの支配していた北東部をほぼ制圧。LTTEは、ムライティブ近くの海岸の狭い地域に逃げ込み、民間人20万人を、「人間の盾」にして立てこもったのです。 
それでもシンハラ人政府は、重火器による攻撃をやめませんでした。

国連は、民間人の巻き添えを懸念してシンハラ人政府に、攻撃の自粛を求めましたが、シンハラ人政府は、攻勢を続けました。 民間人の人権を監視する 赤十字国際委員会も、攻撃のひどさに、現場から撤退するほどの状態で、「人間の盾」となった市民がどれほどの惨状におかれたのか確認できないのです。

2009年5月17日LTTE は、「敗北宣言」をし、「武器を置く」と声明をだしました。
「民間人も、すべて解放した」と発表。

それでもシンハラ人政府は、攻撃を続けました。

同年5月18日 スリランカ政府軍は、逃げ出そうとしたLTTE最高指導者プラブハカラン議長ら、LTTE幹部を射殺。プラブハカランの妻マディーとの間に生まれた長男も、射殺。シンハラ人政府は、殺害したプラブハカランの映像を防衛省のホームページで公開し、完全に勝利したことを宣言しました。

死者は6万4 千人に上ると言われ、その多くはタミル人。難民も一時は58万人を超えました。2 万人弱のシンハラ人兵士も亡くなりました。

終戦を迎えたと言ってもこの内戦はこのような最悪の制圧方法で終わりました。

国際人権団体のも、シンハラ人政府とタミル・イーラム解放のトラ (LTTE)の双方が、戦争犯罪および重大な人権侵害をおこしている可能性があると指摘しています。

海外にはLTTEの残党が未だ存在すると言われています。2011年には、インドのタミル・ナードゥ州にあるLTTE残党のキャンプで訓練を受けた150名のテロリストが国の不安定化のため潜入したとも言われています。今後何も起こらないことを祈るばかりです。

国名
1948年に英連邦自治領「セイロン」として独立したあと、1972年にスリランカ共和国に改称(英連邦内自治領セイロンから完全独立)1978年から現在の国名スリランカ民主社会主義共和国になりました。

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世界銀行が2003年に公表した報告書『戦乱下の開発政策』によれば、過去50年の間に武力紛争の性格は一変して、国際戦争がまれになる一方で、内戦が一般化した。たとえば、2001 年には、世界中の戦争は1 つの例外を除いてすべてが内戦であった。また、国際戦争が発生するにしてもほとんどが6 ヶ月以内に終結している。対照的に、内戦は平均でも約7 年の長期に及ぶようになっている(さらに、内戦の終結を迎えたとしても、5 年以内に再び内戦が勃発する危険性は、約44%に達するとされているとあります。
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私達は危うい世界に生きている。     最近とみに感じることです。


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