スリランカの旅 アヌラーダプラ 

2日目
アヌラーダプラはインドのアショカ王が息子マヒンダを派遣してスリランカに初めて仏教を伝えてから約2千年間続いたシンハラ王朝最古の都です。
古代からの大小の貯水池が多数あり、高度の技術により用水路を引き、水を利用していました。1982年に「聖地アヌラーダプラ」として世界遺産文化遺産)に登録されています。

仏教遺跡は裸足で見学します。便利だったのはビーチサンダルを持って行った事。
小雨の降る中、バスから降りて遺跡に入るまでの間を歩くのにとても役に立ちました。

イスルムニア精舎
スリランカには、岩と結びついた寺院や聖地がたくさんあります。現存する最古の例がこのイスルムニヤ精舎です。平坦で起伏の少ないアヌラーダプラの地に、そこだけ岩がそびえ立っているのが不思議な感じがします。

岩の上に造られたダガーバ,極彩色に塗られた仏像を据えた本堂,宝物館。別名ロックテンプルと呼ばれているイスルムニア精舎は紀元前3世紀デーワーナンピヤ・ティッサ王により仏教保護の為創建されました。

        
                     ガードストーン
                        

ムーンストーン
ムーンストーンは建物の入り口にあり、それを踏んで自らを清めて中に入ります。4つの輪に分かれていますが、一番外は炎(人間の欲望を表す)次は4匹の動物に四苦。象が産まれる苦しみ、馬が老いていく苦しみ、ライオンが病む苦しみ、牛が死の苦しみを表しています。花の輪は愛する心、
花をくわえた鳥は純潔、最後にハスの花は天国を意味します。
下の写真はお御堂の入り口にあったものですが、雨が降っていてはっきり模様をが出ていませんでした。でも、この後至る所で美しいムーンストーンの模様を見ることが出来ました。
          ムーンストーン(雨が降っていた為砂まみれで模様がはっきりしません)
        
御堂の中にあった仏像。ガラスがあるので上手に写せません。近づいて見ると何だか可愛い!
                     

本堂の内部色鮮やかな仏陀の数々これらの仏陀の色の塗り替えは東京の浅草寺の援助による物だそうです。

この寝釈迦も、岩を切り出したものです。
  
        
アーチ状の優雅な壁龕がくり抜かれています。
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本堂の横に宝物殿があります。

宝物殿の中で一番の人気「恋人の像」
紀元前2世紀にこの地を治めていたドゥッタガ―マニー王の息子サーリャ王子と、その恋人のマーラとも言われています。(諸説あり)カースト制の違いを乗り越えた恋人の像は5世紀の作品と言われています。
                   

イスルムニア精舎の裏山は登ることが出来ます。

見下ろすと、緑豊かなアヌラーダプラが広がっています。人工的なものがなく、自然あふれる風景は、長い時間をゆっくりと引き継いでいるかのようです。

下に見えているのが入口の門です。ここから脱帽、素足になります。
        

スリー・マハ菩提樹
紀元前247年、インドのアショカ王の息子マヒンダがスリランカに仏教を伝えました。アショカ王の娘サンガミッタが当時のスリランカ王の依頼によりゴータマ・ブッダ菩提樹の苗木を運び、デーワナンピヤ・テイツサ王が当時の首都であったこのアヌラーダプラに植樹しました。紀元前288年に植樹されたもので、人間の手により植樹された樹木では最古のものです。
        
                      

スリー・マハー菩提樹〜黄銅宮殿〜ルワンウェリ・サーヤ大塔 の通り
黄金宮殿
スリー・マハー菩提樹とルワンウェリ・サーヤ大塔の中間にある「黄銅宮殿」は40列40本の石柱が残っている紀元前2世紀 ドゥッタガーマニー王により創建当時は黄金色の屋根があったためこの名がある柵があって入れません。
        
        

ルワンウェリ・サーヤ大塔
ルワンウェリ・サーヤ大塔は、スリー・マハ菩提樹と並ぶ、アヌラーダプラのもっとも聖なる場所です。白く塗られた大きな塔は、アヌラーダプラのランドマークとして、遠くからも望めます。

紀元前2世紀の建立当時は110mの高さがありましたが、その後の変遷や荒廃で小さくなり、今は、55mです。

直径約80m、水泡を模した覆鉢型の白いストゥーパは、広い石貼りテラスの中央、煉瓦と石による3段の基壇の上に立っています。ストゥーパ本体も煉瓦を積み上げたものです。沈下を防ぐために、建設時、砕いたライムストーンと粘土でつくった5m以上の深さのある基礎を、象に踏み固めさせてつくったそうです。

ストゥーパの煉瓦を積み上げる前、基壇の上に、色鮮やかな石で部屋をつくり、そこに宝石で作った菩提樹と金の仏像を安置したという伝説もあるそうです。今は、煉瓦の奥に埋もれ、確かめようもありません。
        
        
        
        

至る所に猿がいました。
        

アヌラーダプラからポロンナルワへ
アヌラーダプラから今夜の宿泊地ポロンナルワへ移動します。
シンハラ人とタミル人との争いは今に始まった事ではありません。紀元前の昔から南インドから
タミル人がペニンシュラへ渡って来て、前住者のシンハラ人と戦いを繰り返してきたそうです。私たちのバスはアヌラダープラからポロンナルワに移動していますが、その昔1017年、南インド・タミル系のチョーラ王朝がランカ島の大勢を支配したことを受け、シンハラ王朝は首都を今日見てきた
アヌラーダプラからポロンナルワに遷都したのです。
       
ポロンナルワで宿泊するホテルはスドゥ・アラリヤ  部屋に入るとベッドの上にヤシの葉でWELCOME と書かれていました。何だかとても嬉しい!
お礼にI love Sri Lankaと並べ替えて置きました。