スリランカの旅(最終編)  コロンボ

7日目(後編)

いよいよスリランカともお別れ。
ゴールからコロンボまでバスは高速道路を走ります。

2011年11月に開通したスリランカ初の高速道路は何と日本製です。
日本の国際協力機構アジア開発銀行の援助協力により実現したものです。これにより、コロンボから南部の都市ゴールまでの所要時間が大幅に短縮され、観光促進や地域経済活性化も期待されています。 
        
日本が行っているのは、道路の建設だけに止まらず、日本から技術者も派遣し、安全管理の指導に当たっているそうです。料金収集システムや維持管理(消防車、救急車,標識車、クレーン車など)も日本の援助でなされているということもあり、高速道路を走ると、どことなく日本の高速道路を走っているような感覚を覚えます。

日本ではあまり知られていないように思いますが、日本とスリランカの絆はとても強いのです。

「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」そう語った一人のスリランカ人により今日の日本があるのです。

1951年のサンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのはスリランカでした。 当時の大蔵大臣で、後に初代スリランカ大統領になるジャヤワルダナ氏が尽力したのです。

第二次世界大戦中、セイロンはイギリスの植民地として日本軍の爆撃を受けました。それにも関らず、敵国である日本兵の死者を手厚く葬ってくださいました。
1951年9月のサンフランシスコ対日講和会議で、アメリ戦勝国達が日本を植民地化して自由と主権を支配しようとしている時に出席者の中で最も小さい島、セイロンの代表であるジャヤワルダナ大臣が真っ先に、「日本があらゆる制約を受けずに自由と独立した国家として認める様に」と戦勝国やその他の国々に対して発言し、更に「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」という
ブッダの言葉を引用し、対日賠償請求権を破棄。日本は真に独立した国でなければならないと、ソ連の制限案に真っ向から反対し、参加国に寛大の精神を求めました。その結果スリランカアメリカ側の意見に沿って無事に条約が結ばれ、日本国は無事に独立を勝ち取ったのです。
サンフランシスコ平和会議においてスリランカの発言がなかったら、現在の日本はなかったかもしれません。

以上のことは3月15日のブログでも書きましたが、もう一つお伝えしたいことがあります。

スリランカ国民からも多大な支持を得ていた、ジャヤワルダナ大統領は、数々の功績を残し、1996年他界されました。
「片眼はスリランカ人に、もう片眼は日本人に。」
彼の遺志によりジャヤワルダ大統領の 角膜が日本に提供されたのです。

スリランカの献眼協会は、スリランカ人から提供された角膜を国内外へ無償で贈る運動を行っており、わが国にもこれまで約2800の角膜が送られています。

親日家がとても多いスリランカ
これは決して日本が先進国だからだけではなく、日本の悲惨な時代も、親日家だったのです。

この様な歴史的背景を知ったうえでスリランカを旅すると、より友好関係が深まると思います。

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コロンボ
コロンボは西部州にある国内の最大都市です。1948年の独立後、首都になり、現在は行政上の首都です。西部のケラニ川の河口近くに位置し、ベイラ湖と水路で繋がっています。香辛料、紅茶などの重要な貿易港であり、金属製品や織物、衣料品、化学製品などの製造業も盛んです。

スリランカの首都は1985年、コロンボ郊外のスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに遷都しました。しかし、新首都に移転したのは国会議事堂、森林局など一部の機関だけ。大統領府をはじめ、大半の行政機関はコロンボにとどまっており、実質的な首都の役割を果たしています。

さて旅の最終観光地、コロンボで見学した所をご紹介します。

高速道路を降り一般道に入ります。
夕方のラッシュアワー  スリランカで信号があるのはコロンボだけです。
        

ガンガラーマ寺院
ベイラ湖畔近くに、ガンガラーマ寺院がありました。市内最大の由緒ある仏教寺院で、多数の仏像が祀られているので有名です。
        

沢山あるのは仏像だけでなく、寄進されたものでしょうか?所狭しとありとあらゆる古い物が並べられています。何だか骨董屋さんのようです。

スリランカの寺院ですが、中国風の造形も多く、不思議な寺院です。
中庭には象もいました。入り口には何故かクラシックカーも展示してあります。
        

        

                  

           

独立記念ホール 
独立記念ホールの内部は吹き抜けになっています。これはポロンナルワ期の集会場を模して造られました。

屋根の傾斜が途中で変わる(2段階になっている)のは、シンハラ建築の特徴。

銅像は、セイロンの独立運動を先導した初代大統領の『ドンスティーブンセナナヤカ』です。

        

ホールといっても壁がなく、石柱に屋根がのった形。
記念ホール内部の上部の壁にはスリランカの歴史が示されています。
        

        

        

コロンボ大学
バスの中からスリランカの超難関大学コロンボ大学が見えます。

スリランカの公立学校は小学校から大学まで学費は無料です。

国立大学も無償です。しかしその門は極めて狭く、入学できるのは受験資格のある学生のうち僅か16%未満(1万6千人未満)でしかなく、さらに卒業出来るのはその半分。

大学への入学は試験の結果により大きく左右されるので、都市部のトップクラスの生徒だけが高等教育の機会を得られることとなり、多くの行き場を失くした生徒たちは他の手段で高等教育を受けることを強いられてしまいます。そうした生徒の約8%が国外の大学へと向かい、その他は)僅かに存在するといった公立の教育機関、または私立ののような教育機関に行くか、外国大学の制度を利用することになります。

授業料は無償と言っても、経済的な問題から高等教育を受ける道を諦める人も多く,また良い大学を出てもわずかな分野を除き、学位を生かせず就職できない問題も発生しています。

        

いよいよスリランカともお別れです。 中華料理の夕食を頂いた後、空港に向かいます。
        

スリランカは穏やかな国でした。観光で廻った所は 内戦の面影を感じさせるところは全くなく、
仏教文化に根ざした人々の温もりや、穏やかな表情が印象的でした。

なか たった7日間の旅でしたが、今回の旅でスリランカと日本との友好関係の強さを改めて感じました。

雄大な自然。素晴らしい遺跡。暖かい人々。スリランカはもう一度訪れたい国です。

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7日間一生懸命ガイドをして下さったのはガンカさん。一時日本の建設会社に勤めたことから、日本にも住む機会を得、そこで日本語を学びガイドの資格を取得したそうです。
添乗員の松原さんは常に細やかな心配りをして下さいました。
長距離をずっと安全運転をして下さったドライバーさん、いつもにこにこ荷物の積み下ろし、バスの乗り降りを見守って下さったドライバーアシスタントさん。
有難うございました。

総勢19名、うち1人参加は11名。それぞれ個性豊かな素敵な方。和気あいあいと楽しい旅をすることが出来ました。
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