コーカサスの旅 アルメニア
5月15日 6日目 前編
早朝ホテル付近を散歩中 建物の間からくっきりと美しいアララト山が姿を現しました。 感激!
すぐ近くのラズダン川にかかるハグタナク橋に行くと、ツアー参加者中の数人も集まって来ました。
添乗員さんが各部屋に電話で知らせてくださったそうです。
アララト山塊は大アララト山5156mと小アララト山3914mで構成されています。聖書に登場する
ノアの箱船が漂着したところとして有名です。神聖な山であるがゆえに、人の立ち入りが不可能なところという昔からの言い伝えもありました。1828年デルプト大学のパロット教授が学生とエチミアジン教会の修道士アボヴェンとともに山頂へ至ったのが、この山の最初の登頂とされています。
これから今日の観光の始まり。
まずはホルビラップ修道院に向かう途中、アララト山と修道院が同時に見渡せる絶景の場所で写真タイムの予定です。
天候の具合で、アララト山を見ることはなかなか思うようにはならないようです。もう一度見ることが出来るでしょうか?
アルメニアの旅のハイライトの1つであるアララト山の姿を堪能したあと、ホルヴィラップ修道院に向かいました。
ホルヴィラップ修道院
丘を歩いて登ると、ホルヴィラップ修道院があります。
ホルヴィラップ修道院と聖グレゴリウス
ホルヴィラップ修道院は、聖なるアララト山を背景にもつ小さな丘の上にある修道院で、ホルは「深い」、ヴィラップは「穴」という意味です。
アルメニアにキリスト教を広めた聖グレゴリウスが13年間、トゥルダト三世によって幽閉された地下牢があったところで、アルメニアのグレゴリウス教会の聖地です。もともとは牢獄で、キリスト教がアルメニアの国教になった後、聖グレゴリウスが幽閉されていたことを記念して、その穴の上に教会が建てられました。
その後、ペルシャ人やアラブ人の侵略で、教会は破壊され、放置されてきましたが、17世紀末に現在の教会が再建され、19世紀に鐘楼がつけ加えられ現在の姿になったのです。
聖グレゴリウスは牢獄から解放されてからもアルメニアでの布教を強力に推し進めこの後見学する、アルメニア正教の総本山である世界遺産のエチミアジン大聖堂の基になる木造の教会も303年に建立しました。
囚われている聖グレゴリウスのために、地元の人が食料をさし入れたと言われる穴がありました。(写真の下の小さな穴)
地下牢獄
グレゴリウスは3世紀後半から4世紀にかけて活躍したキリスト教の啓蒙者ですが、異教徒だったアルメニア王・ティリダテス3世に父の敵として捕らえられました。ティリダテス3世はその後、聖グレゴリウスから洗礼を受けてエチミアジンに教会を建てました。
覗くだけでも足がすくむ 暗くて深い牢屋。垂直に降りる階段を下りる勇気はありませんでした。 降りて見れば良かったと今になって少し後悔しています。
修道院丘を降りたところで祈りのハトを貸して商売する人達がいました。
鳩を放すと願いが叶うそうです。添乗員さんがお金を払い鳩を1羽放って下さいました。
青空に飛んでいく鳩・・・・その姿に見とれていて願いを言うことを忘れてしまった!。
(鳩は何度も、戻って来るそうです。)
エチジアジン大聖堂(世界遺産)
黒海とカスピ海の間に位置する内陸の国・アルメニアは、世界で初めてキリスト教を国教化した国です。ノアの箱舟がたどりついた場所として聖書に登場する山、アララト山をのぞむ地にあり、人々はノアの末裔を自負してきました。そんなアルメニア人の聖地が、4世紀に建てられたアルメニア教会の総本山、エチミアジン大聖堂です。時代に翻弄されてきたアルメニア民族の悲劇。その時々で心の支えとなってきたエチミアジン大聖堂です。
エチミアジン大聖堂は、アルメニア教会の創始者、聖グリコルがキリストの降臨をえたとされる場所に建てられています。エチミアジンとは「キリストが降りた場所」という意味です。
約8万平方メートルの敷地には、カトリコス(総主教)の住居、神学大学、宗務院、神父たちの居室、博物館、図書館や書庫があります。また、敷地内には国中から集められた貴重なハチュカル(十字架石)が並んでいます。
世界最古の教会 エチミアジン大聖堂への入口(アルメニア正教の総本山)
中心はマイタル・チャタル(母なる教会)、大聖堂のドームと鐘楼は17世紀に改築したものですが基本的な構造は7世紀から変わっていません。
教会内部の天井や柱はアラベスク模様やきらびやかなフレスコ画などで飾ってありました。
エチミアジン大聖堂・博物館(宝物館)
大聖堂内部に入ると美しいフレスコ画や煌びやかなイコンが飾ってあります。
祭壇右奥に併設されている博物館(宝物館)があります。
大聖堂の入口には、細かい装飾が施されていました。
大聖堂入り口のドームの装飾
祭壇右奥の宝物館には、キリストの脇腹を刺した「聖槍(ロンギヌスの槍)」や「ノアの方舟の破片」といった教会秘蔵の聖遺物などが展示されています。
アルメニア西方にはノアの方舟が流れ着いたとされるアララト山が聳えていますが、そこから発見された方舟の木片が埋め込まれた聖遺物もこの大聖堂宝物庫に展示されています。
ですのでエチミアジンの大聖堂には、旧約聖書と新約聖書両方の重要な聖遺物が収められてるのです。
入場料1500AMDを払い宝物館を見学しました。
宝物館に展示されている品々の真贋はともかく、敬虔な教徒が多いアルメニア、信仰はそれ自体が歴史ですので、展示品はとても興味深いものでした。
聖槍(ロンギヌスの槍)
ゴルゴダの丘で磔にされたイエス・キリストの死を確認するために脇腹に刺したと言われている槍です。イエスの血がついた聖遺物として尊重されています。名前は刺したローマ兵の名「ロンギヌス」に由来。
ロンギヌスは目が不自由でしたが、イエスの血に触れたことで視力を取り戻し、その後も様々な奇跡を目の当たりにして改心、洗礼を受けました。後にカッパドギアで捕らえられ、改心するよう言われるが拒否して斬首刑にされたと言われています。
イエスキリストの脇腹を刺した矛先。
↓ノアの箱舟のかけらです。
『創世記』のノアの箱舟とアララト山
神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500〜600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じました。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられ、箱舟の内と外は木のヤニで塗られました。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せたました。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくしました。水は150日の間、地上で勢いを失わなかったのです。その後、箱舟はアララト山の上にとまりました。
40日のあと、ノアは鴉を放ちましたが、とまるところがなく帰ってきました。さらに鳩を放しましたが、同じように戻ってきてしまいました。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻り、さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかったのです。
ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出ました。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げました。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を約束しました。神はその証として、空に虹をかけたのです。 旧約聖書『創世記』より
昼食
ガル二村の農家風レストランでアルメニアの伝統的なパン(ラバッシュ)作りを見学した後、セヴァン湖の魚(イシュハン)の炭焼きを頂きました。久しぶりの魚料理,おいしかった!
パン生地を薄く延ばし、温められた穴の端に張り付けて焼きます。
焼きたてのラバッシュは香草をくるんで頂きます。 久しぶりの魚料理はとてもおいしかった!
デザートは「ガタ」と言うはちみつ入りのパン。
これからガルニ神殿と、岩をくりぬいて建てられたゲガルト洞窟修道院の見学です。