コーカサスの旅 アルメニア
5月15日 6日目後編
ガルニ神殿
(ゲガルド修道院と共に、 ゲガルド修道院とアザト川上流域として2000年 ユネスコ世界遺産に登録されました。)
アルメニアに残るヘレニズムとして唯一のもの ガルニ神殿が見えてきました。
ガル二神殿はこの地域がアルサケス朝(紀元前1−4世紀)の支配下にあった1世紀に、
当時の王ミトリダテス1世により建てられました。キリスト教を受け入れる前のアルメニアは多神教で、ガルニは太陽神ミトラを祀ったものです。アルサケス朝はアルメニア人の王朝でしたが、ローマによる間接支配を受けていたため、その精神文化はギリシャ・ローマ文明の大きな影響を受けており、これも元々は太陽神ミトラのための神殿でした。
歴史的に貴重な建築物ですが、17世紀に大地震で崩壊しました。現在ある神殿は、その後再建されたものです。
ガルニ神殿は、アルサケス王家の王妃が夏の宮殿として使っていたとの説があります。
神殿は見晴らしの良い山の上に建っています。
神殿近くには、ローマ浴場の遺跡があり、床にはモザイク画が残っています。
3世紀のローマ式浴場跡。
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ゲガルド修道院
アザト川の上流のアザト渓谷に囲まれた標高1750mの世界遺産ゲガルド修道院に到着しました。今回私がアルメニアの中で一番訪れたいと思っていた世界遺産です。
ゲガルド修道院は、301年に歴史上初めてキリスト教を国教と定めたアルメニアでも古い歴史を持つ4世紀に創建された修道院です。洞窟修道院とも呼ばれ、院域のいくつかは岩盤を穿って造られた洞窟となっています。修道院の名称である「ギガルド」は槍を意味する言葉で、(先にエレヴァンのエチミアジン大聖堂の宝物館で見た)キリストの脇腹を突いた聖槍ロンギヌスの槍の一部がここで発見されたことにちなんでいます。
ゲガルド修道院のゲートの近くに窪みのある岩がありました。「石を投げてうまく上部の窪みに収まれば願いが叶う」と言う言い伝えがあるそうです。
チャレンジしてみました。3回投げて3回とも窪みにおさまりました。が・・・・・ここでも石を投げることに集中して、願い事を念じるのを忘れてしまいました。私いつこうなんです。欲が無いと言うことで?どうかとびきり良い事がありますように・・・・・お願いします。???
現在残っている中央聖堂は、13世紀に建設されました。
中央聖堂
ゲガルド修道院の内部は、ろうそくのすすで黒くなっていて、荘厳で独特の雰囲気をかもし出しています。
礼拝堂の上部には、2頭のヒョウ、ハト、いけにえのヒツジが?彫られていました。
繊細な彫刻は至る所に有りました。細かい彫刻になると、針で石を削っていたそうです。
修道院横の出口。
神と平和の象徴のハトと、アルメニアの命のブドウの実の彫刻。
岩窟教会
僧院や礼拝堂、食堂などは、中央聖堂の北側に接する岩盤を穿って造られていています。
僧院内には、十字架を彫った石版のハチュカルがいたるところに見られます。
アルメニアは地震の多いところです。
この古いゲガルド修道院にもしっかりと耐震構造が施されているそうです。昔の技術は凄いですね。
裏手には、小川に架かる橋があり、別の小さな洞窟修道院を見学することができますが、その途中の木々には願いをかなえるためのハンカチーフがたくさん結び付けられていました。
ゲガルド修道院は期待通り素晴らしいものでした。
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エレバン
ゲガルト修道院を見学した後アルメニア共和国の首都で、現存する世界最古の都市の一つと言われるエレバンに戻り市内観光をしました。
カスケード
展望台に有る復興アルメニアの碑。
展望台からはエレバンの街並みが一望出来ます。
カスケードは左右の階段か、内部のエレベーターを使って上り降りすることが出来ます。
私たちは長いエレベーターでカスケード広場まで降りました。
カスケードはソビエト・アルメニア成立50周年記念碑とそれに連なる階段状のモニュメントです。
共和国広場
1991年の独立までレーニン広場と呼ばれていた共和国広場には、財務省、マリオット・ホテル、電話局、歴史博物館などが広場を取り囲むように建っています。建物はすべてバラ色の凝灰岩で造られカラフルです。
この広場は、サンクト・ペテルブルグのエルミタージュ広場を設計したアルメニア人建築家アレクサンダー・タマニャンによるものといわれています。