コーカサスの旅 グルジア軍用道路
5月17日 8日目 後編
グルジア軍用道路
グルジア軍用道路は、トビリシからロシア連邦の一部である北オセチア共和国の首都ウラジカフカスまで続く、全長約210キロの街道のことです。
19世紀に南下政策を続ける帝政ロシアが、1801年にグルジアを占領したのに伴いカフカス(コーカサス)山脈を縦断する軍用道路を建設しました。
この街道は既に1世紀には既に存在したと言う記述があります。「馬や人がやっと通れるほどの危険な道」だったと記されているそうです。
高い山が少ないロシア人にとって、カフカスの山々は珍しく、プーシキンやレールモントフなど多くの文学者の作品の舞台や題材になっています。
今グルジア軍用道路を走っている。もうそれだけでワクワクします。
ジンヴァリ貯水湖(ダム湖)
トビリシから約70㎞ ジンヴァリ貯水湖が見えてきました。1970年代に建設されたこの貯水湖を造るにあたり、十数カ所の集落が湖底に沈んだそうです。
アナヌリ教会
ジンヴァリ湖畔に建つ17世のこの教会は他のグルジアの教会と同じように要塞としての役割もありました。城塞の中には2つの教会があり、山側(道路側)がイエスキリストに捧げた教会、湖畔側が聖母マリアに捧げた教会です。
湖畔側の教会は1689年建立。教会内部には見ごたえのあるイコノスタシス(障壁)があります。大部分のフレスコ画は18世紀の火事により損傷を受けていますが、南側の壁には少しフレスコ画が残っています。また外部の壁には保存状態の良い浮彫細工の装飾が残っています。
「聖ニノの十字架」が一時ここに保管されましたが、グルジアがペルシア人やオスマン人からの侵攻の対象となった時、十字架はより安全な場所へと移されました。ゲルゲティ・トリニティ教会、アナヌリ教会、最終的にモスクワへと移されましたが、現在はトビリシのスィオニ大大聖堂で保管され続けています。
十字架のある家と美しい景色(屋根には十字架が無いので教会ではありません)
途中マイクロバスに乗り換え2台に分かれてグダウリに向かいます。
グダウリ
トビリシから約120キロ、車で約2時間のところ。標高2196m。ソヴィエト時代からスキーリゾートとして栄える場所です。
ドイツ兵の捕虜達が掘ったトンネルがありました。雪のために通れなくなる道を通るためのトンネルということでかなり苛酷な労働だったらしく犠牲者も多かったそうです。
グダウリからカズベキに行く途中 壁画展望台があります。ここは帰りに見学します。
グダウリからステパンツミンダの間のグルジア軍用道路で最も高い峠にある十字架。標高は2395m。こちらも帰りに見学することになり、マイクロバスはカズべキへ急ぎます。
カズベギ出身の作家アレクサンドル カズベキの像が町の広場に立っています。
遠くにサメバ教会が見えます。
ガズベキの町のすぐ近くの山頂にあるツミンダ・サメバ(聖三位一体)教会
ここがグルジア軍道のハイライトです。
昼食をしたホテルから、数人ずつに分かれ、四輪駆動に乗り換えゲルゲティのサメバ教会に向かいます。
砂利だらけの坂道を四輪駆動で上っていくと30分くらいで山の上に到着。前には教会が、後ろにはカズベギ山の雄大な姿がみえます。
ツミンダサメバ教会(聖三位一体教会)
クヴェミムタ山の山頂に立つ14世紀建立の教会です。1827年、ロシアの作家プーシキンはこの教会を訪れた際、その美しさを詩「Monastery on the Kazbek」に「天上に浮かぶ教会」と残しています。
ツミンダ・サメバ教会前から見た、5000メートル級のガズベキ山(グルジア最高峰)、
天候によっては、このガズベキ山は雲に隠れてみられないことも多いようです。
小雨は降ったものの、うっすらと5047mのカズべキ山の姿も見ることが出来大満足。
帰りは来るときに見学しなかった十字架峠とロシア-グルジア友好記念塔に寄ります。
十字架峠
標高2395m、軍用道路で最も高い峠にある十字架峠。十字架峠を示すモニュメントは、11世紀のグルジア王ダヴィッド4世によって、オセチアとグルジアの国境を示すために建てられたという言い伝えがあります。
(その時のモニュメントは現在の石碑ではなく、木製の十字架だったとのことです。)
ロシア-グルジア友好記念塔
グダウリから十字架峠の間にある壁画展望台。1983年にロシアがグルジアとの友好200周年を記念して建設しました。聖母子や民話・文化生活をモチーフにした絵が描かれています。
軍用道路という いかめしい名前で呼ばれていますが、街道は美しい自然があふれていました。
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夕食は名物のヒンカリ(グルジア風餃子)を頂きました。
コーカサスの旅も明日一日になってしまいました。