ベネルクス三国の旅  5日目後編 ベルギー(ブリュッセル )

ノートルダム大聖堂での感動をそのままにブリュッセルに戻ります。アントワープから55㎞バスで約1時間です。

昼食
牛肉のビール煮、そして、またまたお昼間からビール。
いつものツアーと違うことは、今回ほとんどの方が毎回アルコールを注文します。
さすがベルギービールのなせる業
     

昼食の後は世界遺産の街ブリュッセル市内を観光します。
ブリュッセルの中心部にある大広場グラン・プラスは、四方を17世紀の歴史的な建造物で囲まれています。その壮麗さは、文豪ヴィクトル・ユゴーが「世界で最も美しい広場」と称したほどです。見事なゴシック建築の市庁舎を中心に構成された広場の周りの建物は、その7割がギルドハウスと呼ばれる職人や商人の同業組合の集会所です。どれも華麗な装飾で飾られており、ブリュッセルがギルドを中心に繁栄した町であることが分かりますギルド繁栄の元になったのがタペストリーです。周りを大国に囲まれたブリュッセルは、常に外国の支配を受けてきました。その中で町を守ろうと対抗したのがギルドです。織物業が盛んだった町の職人たちは技術を駆使して絵画のようなタペストリーを作ります。それがヨーロッパの王侯貴族たちの間で爆発的な人気を得て、ギルドは大金を得て力をつけたのです。町に繁栄をもたらしたギルドの象徴として広場は今も市民たちに愛されています。
この町は歴史に刻まれた顔と同時に、ECやNATOの本部がある国際都市の顔を持っています。

1998年 ブルュッセルのグラン・プラスの名称で世界遺産文化遺産)に登録されています。

バスを降り歩いて行くと小さな広場に出ました。ドン・キホーテと従者のサンチョ・パンサの像あります。見つめる前方に、市庁舎の尖塔が聳えています。
          

グランプラス周辺は中世の建物と小さな商店やレストラン、バーが立ち並び、狭い路地が迷路のように絡み合った街です。

ギャルリー・サン・チュベール
まずはブリュッセルのショッピングアーケード、”ギャルリー・サン・チュベール”へ。
ギャルリーとは、ショッピングアーケードのこと。女王、王、王子の3つのギャルリーに分かれており、ブティック、アンティークショップ、カフェなどが並んでいるなかに、映画館や劇場もあります。1847年に完成したヨーロッパで最も古いギャルリーのひとつです。
          

ギャルリーの中には高級ブティックやチョコレートのお店が等が並んでいます。
          

ギャルリー・サン・チュベールの途中から横道が伸びています。イロ・サクレ地区で
ベルギー料理のレストランがズラリと並んでいます。
美味しそうなお料理を横目で見ながら進んで行きます。          
          

                      

小さな通りを歩いていると、漂ってくるのはワッフルの甘い香り。ワッフルにはリエージュ風、ブリュッセル風などの種類があるそうです。チョコレート屋さんもたくさんあって、大室御用達のゴディバ、ノイハウスといった大御所から個人店まで、数え切れないくらいの店がありました。
          

セルクラースの像

グラン・プラスで、最古のギルドハウス「星」の家の壁にあるのセルクラースの像
この像に触れた人には幸福がもたらされるという言い伝えがあるそうです。
私もしっかり、触ってまいりました。
ブリュッセルの街は、12世紀初頭から14世紀初頭まで、ブラバン公によって統治されていました
しかし、その繁栄をうらやんだフランドル伯が、何とかして王位を継承して街を支配しようと企み、
星の家にフランドル伯の旗を掲げました
それを見たセルクラースは、星の家を片手でよじ登り、正統な後継者であるブラバン公の旗に取り替えました。
彼の勇敢な行為は市民の士気を高め、その結果、ブラバン公が正統な後継者として王位につきましたそして、ブリュッセルの街はその後も繁栄し続けました。

セルクラースは1388年に暗殺されてしまいますが、街の英雄として人々の記憶に残ることになります。
          

小便小僧 
セルクラースの像の道をさらに南へ、ベルギーチョコレートの店がたくさん並ぶ道を歩いて行くと、ブリュッセルの名物 ”小便小僧”があります。。
さすが有名人。人だかりができてました。
小便小僧の誕生には諸説あります。
一つは、ブラバント公ゴドフロワ2世に関する説。1142年、当時2歳のゴドフロワ2世率いる軍は、グリムベルゲンでの戦いの際、戦場の兵士を鼓舞するため、ゆりかごに幼い支配者を入れて木に吊るした。 そこから公は敵軍に向かって小便をし、味方軍を勝利に導いたという。
一つは、侵略者が城壁を爆破しようとしかけた爆弾の導火線を小便をかけて消し、町を救った少年がいたという武勇伝説。この少年の名はジュリアンといい、小便小僧の愛称「ジュリアン坊や」はここに由来するといわれています。
        

          
身長は60cm弱と小さい像です。世界中から贈られた衣装を650着以上も持っているそうです。衣装はグランプラスの王の家にある市立博物館に展示されています。

元の道にしばらく戻ると再びそびえ立つ市庁舎が見えてきました。
                         

グラン・プラス
大広場グラン・プラスに出ました。さすが文豪ヴィクトル・ユゴーが「世界で最も美しい広場」と称した広場です。
          
グラン=プラスは美しい広場ですが、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけではありません。1523年にプロテスタントの最初の殉教者たちであるヘンドリク・フォエスとヤン・ファン・エッセンがこの地で火刑に処されました。
大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊されました。市庁舎の塔は砲撃の的になったが、石でできた壁は放火による火災に耐えました。広場を囲む家々は様々なギルドによって石造りで再建された為、市庁舎以外のほとんどの建物は、この時以降のものです。

市庁舎
ひときわ高くそびえ立つ建物は市庁舎です。市庁舎の頂上にはドラゴンを打ち倒している金色の守護天使ミシェル像(大天使ミカエル)が輝いています。

広場を代表する建築物で、中世ゴシック様式の傑作と謳われる市庁舎は1402年から建設開始。左翼部分は建築家ヤコブ・ファン・ティエネンが、右翼部分はギョーム・ド・ヴォーゲルが担当しました。1444年に右翼部分の最初の礎石を置いたのは、ブルゴーニュ公国最後の君公シャルル豪胆公、当時まだ11才の若さでした。

塔部分は1449年に建築家ヤン・ファン・ルイスブロエクが着工。高さ96メートルの塔の頂きには、町の守護天使ミカエルが、悪魔の象徴ドラゴンを打ち倒した姿で市民を見下ろしています。市庁舎全体の完成は1455年、実に半世紀以上をかけた力作なのです。フランス軍の激しい爆撃により市庁舎内部は火災に遭いますが、塔だけは奇跡的に残りました。

市庁舎を正面から見ると、塔を挟んで建物は左右対称ではありません。このため昔からブリュッセルでは、「市庁舎が非対称であることに気づいた建築家が塔の頂上から投身自殺をした」と言い伝えらていますが、全くの作り話だとか。

          

王の家
王の家は、12世紀以降パン市場として親しまれた木造建築物で、オランダ語では「パンの家」と呼ばれています。15世紀になると石造にかわり、ブラバント公の行政庁が置かれました。これが理由で人々はこの建物を「公の家」と呼ぶようになり、公がスペイン王になると「王の家」と呼ぶようになったのです。1695年の砲撃などで損害を蒙ったため、現在のものは1875年にネオゴシック様式で再建されたものです。

                    王の家と言われつつ、実は”市立博物館”だそうです。
          

ギルドハウス
ドイツ、フランス、オランダを結ぶ要衝にあるブリュッセルは、10世紀頃から発展をはじめ、商業の急成長によって繁栄しました。繁栄を支えていたのが「ギルド」と呼ばれる同業人組合です。ギルドは職業別に集まった組合組織で、商人や貿易業者が商人ギルドという組織を作り、商業を独占することで価格や流通量を自在に操り、王や都市にさえ特権的な身分を要求したのです。貿易都市・ブリュッセルが繁栄したのは、こうした商人ギルドや、それによって集まってきた手工業者のギルドのおかげでもあります。
12〜13世紀にはグランプラスの辺りに市庁舎が造られ、ギルドが続々とその周辺に集結しました。現在残っているグランプラス周辺の建物は、それぞれの職業の組合員が集まるギルドハウスでした

興味深く一軒一軒眺めていたら、添乗員さんが資料を貸してくださいました。
          

          

フラバン侯爵の館
正面に見えるのはフラバン侯爵の館です。17世紀末に建てられました。1つの建物に見えますが、実際は6つの家から成り立ち、内部はつながっていません。正面に歴代のフラバン侯爵の銅像が並んでいるため
「フラバン侯爵の館」と呼ばれています。ホテルになっている家もあります。
          
観光馬車のひずめの音が広場に優雅に響き渡ります。

これから今日の観光の最後ブリュッセルから15㎞バスで30分の所にあるヨーロッパ最大規模のバラ園、シント・ピータース・レーウへ向かいます。

シント・ピータース・レーウ
公園の敷地は広く中央部に広大なバラ園があります。
バラ園に行くまでの小道の両側に生えている木々には苔が生えていて、幻想的な緑の世界に誘ってくれます。                  
          

16世紀貴族の住むお城として建てられたそうですが、現在はビジター・センターです。
          

          

          

白と赤の庭
          

フランダース地方の優秀な育種家が開発した250種類に及ぶ苗木を集めた“フランダースの庭”、700株のオールドローズが咲く、“オールド・ローズの庭”、世界各国のコンクール入賞苗木を国ごとに区分した”インターナショナル・ガーデン”、300〜400のツルバラを集めた“ツルバラの庭”と、広大な敷地内には見たことのないバラも咲いていました。
                                 
                                                日本庭園もありました。
              
                           

バラ園のカフェでアイスティーを頂きました。
ベルギーでアイスティーと言ったら炭酸入りが基本のようです。初めて頂いた炭酸入りアイスティーはとても美味しかったです。

夕食はブリュッセルスの市内のレストランでシコンのグラタン料理を頂きました。シコンは日本ではアンディ―ブと呼ばれている野菜です。
                    ハムでシコンを巻いたグラタン
           

明日はゲントの聖バーフ教会で祭壇画「神秘の子羊」の鑑賞。楽しみです。