ベネルクス 三国の旅  6日目 前編 ベルギー(シント・アナ・ベーデ   ゲント)

宿泊のブリュッセルのホテルから10㎞。バスで15分。
バスは牧歌的なブリューゲル街道をシント・アナ・ペーデに向かって走ります。

ブリューゲル街道には、16世紀に活躍したベルギーを代表する画家「ブリューゲル」が描いた風景が残っています。ブリューゲル街道の起点となる「シント・アナ・ペーデ教会」周辺は、オープンエア・ミュージアムに例えてもよい場所です。周辺の風景が描かれたブリューゲルの主な作品には「盲人の寓話」、「婚礼の行列」、「雪中の狩人」、「絞首台の上のかささぎ」等があります。

          

          

          

シント・アナ・ペーデ 教会
目の前の教会こそ「盲人の寓話」の背景に描かれている教会です。
周囲には何もなく ゲートもありません。自由にこの教会の敷地内に入れます。
          

          
                 盲人の寓話 (The Parable of the Blind) 1568年                                                       86×154cm | テンペラ・板 | カポディモンテ国立美術館  
          

ピーテル・ブリューゲルが手がけた寓意画作品の傑作『盲人の寓話』。この作品に描かれるのは、新約聖書マタイ福音書に記されています。盲人が同じ盲人を導くことによって、ついには両者とも穴へ墜落してしまうという寓意から、真の信仰は正しき導き手(善き教師)によってのみもたらされ、肉体的欠陥より信仰の欠如という精神的な欠陥の恐怖を説いた≪盲人の寓話(盲人が盲人を手引きする)≫で、聖書内へ記される盲人の人数は二人とされていますが、この作品では六人もの盲人が登場しています。本ブリューゲルは対角線上に盲人の列を配し、上方では危険に気付かず導かれるまま歩く姿を、下方では穴に落ち苦しむ姿や危険が振りかかる直前の恐怖と不安に引きつった姿をまざまざと描き、この各人物の行動で本主題の直感的な寓意を表現するほか、画面上部中央やや右寄に配する教会によって、本来目指さねばならない正しき信仰を示しているのです。ブリューゲルは代表作『謝肉祭と四旬節の喧嘩』など自身の作品にしばしば盲人の姿を登場させており、盲人(社会的弱者)に強い関心を抱いていたことが窺えます。この作品は当時、過剰に高まっていた宗教改革とその思想への強い批判が込められていると考えられます。

この絵では6人の盲人が互いに杖でつながっています。先頭の盲人が何かの拍子で転んだところ、二番目の盲人は明らかにショックでうろたえ、そのショックが三番目の盲人にも伝わろうとしています。
ブリューゲルの観察の鋭いことは、この絵の中の盲人たちが、どんな病気をわずらったかまで推測できるのです。ひだりから三番目の盲人は角膜白斑であり、その前の男は黒内障である。そして転びそうな男の目は刳り貫かれている。刑罰を受けたか障害を蒙ったかで、目玉を繰り抜かれたのでしょう。
背景に教会の建物を描いているところは、ブリューゲルの他の絵と共通する特徴の一つです。

これからゲントの市内観光に行きます。シント・アナ・ペーデから80㎞、バスで1時間30分のところです。
     

ゲント(世界遺産      
ベルギー第3の都市ゲントは、中世の輝かしい過去と、活気に満ちた現代とが美しく調和した町です。町はレイエ川とスヘルデ川が合流する地点に広がっていて、その水辺の風景の美しさも格別。特に、旧市街の中心となる広場コーレンマルクト近くのレイエ川の両岸は、西岸がコーレンレイ、東岸がグラスレイと呼ばれ、川に面して壮麗なギルドハウスが建ち並ぶ、ゲントを代表する風景の1つとなっています。
町中には何百年も経た建造物が点在し、歴史を見つめてきたいくつもの尖塔が空に向かってそびえています。ゲントはまた、フランダース地方最大の大学の町で、居心地の良いカフェや手頃な値段のレストランが集まっています。「花の都」とも称されるように至る所に花が溢れ、ゆったりとした雰囲気が漂っているのも魅力です。

バスを降りまず金曜広場に出ました。

金曜広場   
かつては集会所が設けられ、ゲントの政治的な中心地でした。
周りにはやはり壮麗なギルドハウスが立ち並んでいます。
14世紀の毛織物商のリーダー的存在だったヤコブ・ファン・アルテフェルデという商人の像が広場の中央にあります。
                広場に建つヤーコブ・ファン・アルテフェルデの像
          

鳥を売っているお店も数店ありました。
          

金曜広場の近くに、赤い大砲(別名気狂いフリート)が置かれていました.
          

グラスレイからクーランレイへ入る付近の、普通の民家の屋根に乗っている小便小僧がいました。
          

                              
中世の肉市場。
ギルドハウスと礼拝堂も併設しています。現在はレストランになっていて、天井から肉がぶらさがっている店内で、お食事ができます。
          

           

ギルドハウス
かつて港だったグラスレイには、当時の商品達の財力と権力を象徴するかのような、見事なギルドハウスが建ち並んでいます。
          


フランドル伯居城
1180年、フランドル伯のフィリップ・ダルダスによって建てられたお城。14世紀には、軍事機能を失い、拷問質や牢獄はアウデブルグ学校、伯爵領の造幣局、裁判所の公的機関として利用されました。見張りの台に立つと、ゲントの町の大パノラマが広がります。
          

中世には毛織物業で栄え、その後 近代産業都市として生まれ変わったゲント。
街には中世に建てられた歴史的建造物が点在しています。

鐘楼
コーレンマルクト広場近くにある鐘楼。コーレンマルクト広場の聖ニコラス教会、聖バーフ大聖堂とともにゲントを象徴する3つの塔の一つです。1314〜1338年に、ギルドによって高さ91mの鐘楼(ベルフォルト)が建てられた。鐘楼には16世紀にカリヨンが設置されました。このカリヨンは44個の鐘で構成され、自動演奏装置と連動して演奏を行います。今回は上りませんでしたが、鐘楼に上ることができ、ゲントの市街を見渡すことができます。鐘楼の東に隣接する建物は繊維取引所(ラシャ取引所)で15世紀の建物です。
                  16世紀に取り付けられたカリヨン(鐘)が美しい音色を奏でます。
          

王立劇場
          


聖パーフ教会
ここには“フランドルの至宝”と云われる祭壇画「神秘の子羊」が所蔵されています。
この作品はファン・アイク兄弟によって描かれました。教会の裏には彼らの銅像があります。
教会の建物も修復中の為ベールで被われていました。
          

神秘の子羊
いよいよ神秘の子羊とご対面です。この祭壇画も一部修復中でした。ガラスケースの中に飾られていましたがケースの周りを360度移動できるので、裏にも回って外側のパネルもしっかり鑑賞してきました。

この祭壇画のように祭壇画が観音開き式に開閉するものを多翼式祭壇画と言います。多翼式祭壇画は普通の日は閉じておきます。外側にはわざと色彩感を無くした絵が描かれます。典礼のときに両翼を開けると、中の色鮮やかな場面が現れると言う仕掛けです。ゲント祭壇画(神秘の子羊)もその一つです。

神秘の子羊は全部で24に分けられた場面から構成されています。

製作者はフーベルト・ファン・エイク(兄)とヤン・ファン・エイク(弟)。1432年の完成です。人類最初の油彩画です、
                       翼を開いたところ      (撮影禁止でしたので絵葉書の写真です)
                上段の最外部のアダムとイブの部分が修復中でした。                                                       
            ↓                                       ↓
          

「生贄の子羊」はキリスト教において 全人類救済の為に犠牲となったイエス・キリストの象徴です。または三位一体(父なる神・神の一人子キリスト・精霊)の象徴でもあります。
本来は羊文化圏の中近東において 自らを他の生命のために役立たせる(弱きものには乳を与え 強きものには肉を与え 裸の者は毛で包み 寒い者は毛で覆う)無我の慈悲の象徴でした。
羊(=キリスト)とその上の鳩(=精霊)と上のパネルの父なる神とで 三位一体を表現しています。脇腹から吹き出る血と 周りを取り囲む聖遺物を手にした天使たちによって キリストを象徴しているのです。
          

                        翼を畳んだ状態
Jodocus Vijdtは、非常に裕福な商人でしたが夫妻には子供がなく、自分たちが生きた証を他の方法で後世に遺そうとしました。それがこの絵画の下列の両端に、パトロンとして描かれることでした。
          

昼食はゲントのレストランでローストチキンを頂きました。
    


壮大な時の流れの中で、生まれ 生き残ってきた素晴らしい建造物と絵画を心にしっかり刻み、これから今回の旅の最終地ブリュージュに向かいます。