危機にさらされている世界遺産(危機遺産)

イスラエル旅行の出発が明日に近づいてまいりました。

今回のイスラエルの旅で巡る世界遺産の中には2つの危機遺産が含まれています。

危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産)とは世界遺産登録物件のうち、世界遺産としての意義を揺るがすような何らかの脅威にさらされている、もしくはその恐れがある物件のことです。

2013年の時点での世界遺産登録数は981件。その中に危機遺産は44件あります。

今年新たに危機遺産に指定されたのは7件。そのうち6件がシリアのものでした。
理由は、シリア内戦による世界遺産保全への影響が懸念されるためです。
残る1件はソロモン諸島の自然遺産「イースト・レンネル」です。森林の伐採が生態系に悪影響を与えている為登録されたのです。

危機遺産は、脅威が去ったと判断されれば危機遺産リストから除外されます。
今年はイランの「バムとその文化的景観」が危機遺産から外されました。2003年に起きた大地震とその復興開発の影響で、危機遺産となっていたものですが、地道な復元作業が評価されたのです。

さて、今回の旅で巡る2つの危機遺産は『エルサレムの旧市街とその城壁群』と『イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路』です。

エルサレムの旧市街とその城壁群』
現在イスラエルが首都として実質的に支配していますが、パレスチナも領有権を主張しています。ユネスコ世界遺産センターの国別一覧では、エルサレムは「エルサレム(ヨルダンによる申請物件)」として、どこの国にも属さない形で単独で扱われています。この物件の登録時点では、イスラエル世界遺産条約を批准していませんでした(イスラエルの批准は1999年)。そのため、この物件はエルサレムそれ自体の領有と切り離して、「ヨルダンによる申請」という注記で登録されることになったのです。

周辺情勢の不安定さから保護が必要な物件である一方、エルサレムの帰属問題などのデリケートな問題をはらんでいることから、変則的な申請が認められた珍しい物件です。ヨルダンによる申請で1981年に世界遺産に登録され、翌年に危機遺産リストに加えられた最も長い期間危機遺産に登録され続けている物件なのです。

エルサレムの旧市街地はユダヤ教キリスト教イスラーム、それぞれにとっての聖地であり、歴史を通してその領有権が争われてきました。

ユダヤ教徒にとってこの地はかつての王国の首都であり、ソロモンが建立した第一神殿、またバビロン捕囚後に再建された第二神殿があった場所です。現在は、ヘロデ大王(在位前37‐前4年)の建立した神殿の一部とみられる壁が残っていて、西壁には第一神殿の遺構があると考えられています。この西壁に向かって神殿が失われたことを嘆くユダヤ人の姿から、この壁は「嘆きの壁」として知られています。この地を追われ世界各国に散らばらざるをえなかったユダヤ人たちにとって、エルサレムは「約束の地」の象徴でもあるのです。

キリスト教徒にとってはこの地は新約聖書で描かれるイエスの生涯と深くかかわる場所です。イエスはこの地で弟子の裏切りにあい、死刑に処されました。旧市街地には、イエスが十字架を背負って歩んだ「苦難の道」があり、十字架に架けられたとされる場所には現在聖墳墓教会が建っています。

ムスリムにとって、エルサレムはメッカとメディナに継ぐ第三の聖都です。中心となるのは岩のドームで、これはムハンマドの死後、ムハンマドの昇天の舞台となった聖石を中心にして建てられました。昇天とは、ムハンマドが天使ガブリエルに連れられ天馬に乗ってメッカからエルサレムへと旅し、この聖石から光のはしごを登って昇天したとされる出来事を指します。

このように3つの宗教伝統が交差するこの地は、今もその帰属をめぐる問題が絶えません。

『イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路』
降誕教会と関連する資産群は、2011年にユネスコに加盟したパレスチナにより、通常の世界遺産の登録のプロセスではなく、「緊急の保護を要する物件」として世界遺産危機遺産)に申請されていました。パレスチナは2011年10月末のユネスコ総会でユネスコの加盟国になったばかりなのです。通常、世界遺産委員会で審議される前年の2月1日までに正式な推薦書が提出されていないといけないはずなのですが、2011年の2月1日の時点でパレスチナはまだユネスコ加盟国ではありませんでした。

何故このような速さで世界遺産リストに記載することが出来たのかというと、「緊急的登録推薦」という方法がとられたためです。
これは、自然現象や人為的活動により実際の被害を受けているか、もしくは重大かつ明確な危機に直面している場合は、通常の世界遺産登録の手順から外れて緊急に世界遺産リストに記載し保護する、というものです。

実はパレスチナユネスコに加盟すること自体 アメリカやイスラエルからの強い反発があったため、当初は登録が困難視されていました。実際にユネスコの諮問機関であるICOMOSは、パレスチナによる申請は緊急の保護を要する類のものではないとして、登録の見送りを事前に勧告していたのです。

しかし、ロシアのサンクトペテルブルクで開催された第36回世界遺産委員会において、本物件の登録審議を行うことが認められ、秘密投票によって委員会を構成する21カ国のうち3分の2以上の賛成投票を得ることとなり、世界遺産への登録が認められました。またそれと同時にイスラエルによる反対動議も却下されたのです。これはパレスチナ初の世界遺産登録であり、教会の主権、およびベツレヘムの地がパレスチナのものであることをユネスコが認めた意味合いもあるため、イスラエルと緊密な関係を持つアメリカのユネスコ離れが加速するとの見方があります。アメリカは国連に対して拒否権の発動を示唆し、ユネスコに対しては全予算の2割強を占める拠出金を凍結しています。アメリカは世界で最初に世界遺産条約を採択した国である一方で、ユネスコの活動が政治的であるなどの理由で1984年に脱退し、2003年にようやく復帰したいきさつもある為、今後のイスラエルアメリカの動向が注目されます。

世界遺産とはなんなのか? その存在意義にかかわる重要な問題点をいろいろな角度から考えることは、このようにとても興味深いことです。

この地域が平穏になり 危機遺産リストから除外されることを願うばかりです。