イスラエルの旅 2日目  テルアビブ →ヤッフォ →カイザリヤ

2日目
宿泊したテルアビブのメトロポリタンホテルは地中海のそばにあります。朝食まで時間があったので、早朝 気持ちの良い地中海の風を受けて浜辺を散歩をしました。

いよいよ今日から本格的な観光の始まりです。
          

さて、昨日空港で別室に連れてかれた添乗員さんは、夜中の3時まで何人もの空港職員に何度も何度も同じことを聞かれたそうです。やはりイスラエルの入国審査は厳しい面もあるのですね。

2日目の行程はテルアビブの観光→ヤッフォ→カイザリア→昼食→アッコ旧市街観光の後宿泊地ティべリアへ。

テルアビブ観光
テルアビブは1909年に建設された比較的新しい都市です。当時はアラブ人の街であったヤッフォの北にある土地をヨーロッパから移住してきた60家族のユダヤ人が購入したのが始まりです。テルアビブとはヘブライ語で「春の丘」の意味。

世界遺産
テルアビブの白い都市 - 近代化運動 (登録2003年)

地中海に面したイスラエルのテルアビブに約1000戸の白い建造物が密集する一角があります。1930年代の優れたモダニズム建築を今に残す世界遺産です。当時ナチスによるユダヤ人迫害によって多くのユダヤ人入植者がテルアビブに流入しました。その中にドイツの総合造形学校・バウハウスで学び、モダニズム建築の提唱者ル・コルビュジエの影響を受けた者が多数いました。鉄やコンクリートを用いる彼らの機能的な手法は、大量の家を安く、早く必要とする時代背景に合い、外壁を白に統一したことでホワイト・シティが誕生します。設計における特徴は、機能性と広いバルコニー。長年迫害を受けてきたユダヤの人々にとって、自由を手にしたことで、誰に憚ることなく ゆっくりとおしゃべりをしたり、食事をすることができる広々としたバルコニーは夢の空間だったのです。

予定では車窓観光だったのですがガイドさんの計らいで、バスを降り詳しい説明を聞きながらバウハウス様式の家々を見学することが出来ました。

                 建物の特徴は広いバルコニーと大きな窓
          

          

          

          

イスラエルではどこに行っても猫をたくさん見ました。            
                          

近くのカルメル市場は活気がありました。
                     
                     

車窓から見えた高さ140メートルのシャロームタワーは1960年代の中東では最も高いビルの一つだったそうです。

テルアビブ観光の後ヤッフォに向かいます。

ヤッフォ
ヤッフォは旧約聖書の時代からの古い港町です。ソロモン時代にはレバノン杉もここから陸揚げされ神殿建設に使われたそうです。近代的な建物の立ち並ぶテルアビブとは対照的に、ヤッフォ旧市街は昔のままの古い家や店が立ち並ぶ石畳の広がる情感のある街です。

ヤッフォ散策
ケドゥーミーム広場
1740年移住してきた最初のユダヤ人の宿泊施設がおかれた場所です。
          

ナポレオンの像が建っていました。1798年フランス軍司令官のナポレオンはエジプト攻撃に成功して、翌1799年、シリアに転戦します。その際、ヤッフォに立ち寄りましたが、ヤッフォでは多くの兵士がペストにかかり、ナポレオンは足手まといとなった彼らを見捨てて進軍しました。ナポレオンゆかりの地となったものの、後にナポレオンは自軍を見捨てたという悪評が広まるのを恐れた為か「ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン」という絵画を画家に書かせています。

皮なめしシモンの家
石段を少し下ったところに新約聖書にも登場する有名なシモンの家がありました。イエスの死後,弟子の1人だったペテロはイスラエル各地で奇蹟を起こしながらイエスの教えを広めて歩き,ここヤッフォの皮なめし職人・シモンの家に滞在していました。シモンの家の屋上で祈っている時に神のお告げがありました。そのお告げの意味を考えている時に訪問者が来て、カイザリアに住むローマ人の軍人コルネリウスという人に天使のお告げがあって,ペテロを招いて話を聞きなさいということだったので迎えに来たと言われました。当時ユダヤ人が外国人と交際したり訪問したりすることは律法で禁じられていましたが,ペテロはさきほどの幻を思い出し,「どんな人をも清くない者とか,汚れている者とか言ってはならない」と知り,招きにしたがってコルネリウスを訪ね,そこで初めて外国人にイエスの教えを伝えました。それまでは,イエスの教えは単にユダヤ教の一宗派でしかなかったのですが,この瞬間に,民族・国籍を問わずどんな人でも悔い改めれば救われるという世界宗教としての「キリスト教」が誕生したわけです。
          

聖ペテロ教会
イエス・キリストの弟子で初代ローマ皇帝:聖ペテロが、イエスを裏切ってしまった後を胸にこの場所から伝道の旅に出たと言われています。
この教会は十字軍時代のフランスのルイ9世が造った要塞の上に、1888年から1894年にかけて建設されたそうです。またこの場所は1799年にナポレオンがアッコ撤退後に滞在した所です。
          

          

カイザリヤ
ヤッフォから約59キロ。その昔、地中海の玄関口として栄えていたこの土地にヘロデ王は、アテネに匹敵する大きな港町を築こうと町造りを始めました。以来、ローマ皇帝カエサルアウグストゥスの名前から、カイザリヤと呼ばれるようになったそうです。

地中海を望む円形野外劇場。ヘロデ王が建てたものですが、現在は修復されてコンサートなどに使用されています。
          

          
カイザリヤの規模を知るために私たちは700メートル位を歩いて廻りました。
闘技場があったところに向かいます。後方にはうっすらと火力発電所の煙突が見えました。2000年の時の流れを感じさせます。
          

ローマ時代にはこの闘技場で多くの人がライオンと戦わされたそうです。
          

ここは海底の発掘で出てきたものですが、下の写真の物が出てきました。(これはレプリカ)
ポンティオピラト(ユダヤ総督)がテェべリウスの為に祭壇を建てたと書いてあります。この発掘のため、彼がユダヤ総督でここに滞在していたということが実証されました。そして聖書が歴史的だということが判明されたそうです。
          

          

          

          

こちらは十字軍時代の遺跡
          

          

昼食は遺跡の中に建つレストランで地中海を眺めながら新鮮なシーフードを頂きました。
                    

遺跡のそばにはいくつかのレストランがありました。私たちはイカを頂いたのですが・・・・
ユダヤ教徒にとっては聖書に記載されている「食べてはいけないモノ」が存在します。豚肉は比較的有名ですが他にも禁忌の対象になるものが多くあります。
コーシャー[日本語の訳では清浄食品]とは、ユダヤ教のうち、食べ物に関する定めに合致した作り方をしたものを言います。
基本的には 「豚と貝類・甲殻類はいついかなる場合も禁じられる。禁止されていない牛肉と鳥肉は、掟にかなった方法――生きているうちに殺して血を注意深く出すなどの手順――で儀式的に屠殺されたものでなければ食べられない。それから牛肉と乳製品を同時に食べることは掟にそむく、あるいは不浄とみなされる。肉用の皿やガラス食器を乳製品用につかってはならない」など厳しい決まりがあります。
もっとも これを正直に実践している正統派ユダヤ教徒とは多少違って律法の解釈を認める改革派ユダヤ教徒も存在しています。こちらは「正統派」に対して「保守派」と呼ばれているそうです。そのほかに世俗派もいるそうです。
ですので私達がイカを食したレストランにはユダヤ人は居ませんでした。ユダヤ人だけがお食事をしているレストランもありました。

昼食後は海岸に沿って延びるローマ時代の導水橋の跡の見学。
ヘロデ王が、カルメル山から水を引くために建設しました。
          

その後アッコーに向かいます。