イスラエルの旅 4日目  カナ ・ ナザレ

4日目
4日目の行程 カナ→ナザレ→メギッド

ティベリアから近くに位置するカナに向かいます。

カナはイエスが初めて奇跡を行った「カナの婚礼」の舞台の場所として聖書に名を残しています。

ここには婚礼の奇跡を記念して建てられたフランシスコ会ギリシャ正教会のふたつの教会が建っています。
今回はフランシスコ修道会の婚礼教会だけを見学しました。

婚礼教会
                    
エス・キリストが最初に行った奇跡とは
カナという町の婚礼に聖母マリアや弟子たちとともに招かれたイエスは,宴のブドウ酒が尽きたことを聖母から知らされ,6個の水がめに注いだ水を良質のブドウ酒に変えたという。

教会の祭壇には、婚礼の様子を描いた絵と、イエスとマリアの彫像、6つの甕のレプリカが飾ってありました。
          

地下にはその時の物だといわれている甕がありました。
          

この教会は、当初のシナゴーグの上にビザンツ時代の教会、十字軍時代の教会と重ねられ今はその上に建てられています。

何故かお金が沢山投げ込まれていました。
                         以前の教会の跡
          

フランシスコ会の婚礼教会の前の土産物屋の後ろにギリシャ正教会の婚礼教会が見えました。
          

このお土産物屋さんに入ると、ワインの試飲をさせてくださいました。カナのワインを頂いてみると、その甘いこと!赤玉ポートワインよりもっと甘い感じでしたが、お土産に購入しました。
                                          
次にカナからすぐ近くのナザレに向かいます。
ナザレは、聖母マリアがイエスの誕生を大天使ガブリエルに告げられた場所であり、イエスが伝道活動を始めるまでの約30年間を両親と暮らした町です。初期のキリスト教徒たちは、「ナザレ人」あるいは「ナザレ派」と呼ばれていました。エルサレムの原始キリスト教団を率いた、キリストの12使徒のひとりヤコブもナザレの出身です。

ナザレ
次にカナからすぐ近くのナザレに向かいます。
ナザレは、聖母マリアがイエスの誕生を大天使ガブリエルに告げられた場所であり、イエスが伝道活動を始めるまでの約30年間を両親と暮らした町です。初期のキリスト教徒たちは、「ナザレ人」あるいは「ナザレ派」と呼ばれていました。エルサレムの原始キリスト教団を率いた、キリストの12使徒のひとりヤコブもナザレの出身です。

聖ガブリエル教会
マリヤの井戸
ここはマリアが水を汲みに来た際、大天使ガブリエルによる受胎告知がされたといわれる場所です。
          

前方に聖ガブリエル教会が見えます。この教会はギリシア正教会が、マリアが受胎を告知されたことを記念して17世紀に建てた聖堂です。
          
                          聖ガブリエル教会       
                    
聖ガブリエル教会は素晴らしいイコンが数多くあり、金色のきらびやかな雰囲気で包まれていました。
                           

次にもう一つの受胎告知教会に向かいます。
    

受胎告知教会
326年に、コンスタンティヌス帝が母のヘレナに頼まれて、マリアが受胎告知を受けたと伝えられる洞窟の上に建てた教会が受胎告知教会で、中近東最大のカトリック教会です。

                         受胎告知教会
          
正面の扉には、イエスの誕生、マリア、ヨセフのエジプト行き、イエスのヨセフの手伝い、ヨハネによるイエスの洗礼、イエスの垂訓、十字架上の死という、聖書の話が刻まれています。
                           

教会の屋根は「天の女王マリア」の王冠を模し、その内部は純潔を示す百合の花をモチーフにしています。聖堂の三角形の屋根はアヴェ・マリアのAをかたどったものです。
          

下に見えるのがマリアが受胎告知をされた洞窟
上の部分の正面祭壇には、神の眼、聖霊の鳩、イエスの隣に鍵を持った聖ペテロ、右上には使徒、その下には聖職者たちなどが描かれています
          
世界各国から贈られた聖母マリア像が飾られています。
          

日本からはカトリック美術家の長谷川路可という画家の作品、『華の聖母子』が飾られていました。
彼は、日本におけるフレスコ・モザイク壁画のパイオニアとして有名な方で、この作品は、彼が描いた下絵に、彼の亡くなった後、お弟子さん達によってモザイクで制作されたものです。又マリアの着物の袖には6000個もの真珠が埋め込まれているそうです。
          
受胎告知教会と聖ヨセフ教会の間の地下から発見された遺構 
          

聖ヨセフ教会
修道院を真ん中にして受胎告知教会と反対側に聖ヨセフ教会があります。マリアの夫ヨセフが大工の仕事をしていたという場所に建てられた教会です。この教会は1914年に新築されて現在の形になったもので、受胎告知教会と同様にビザンツ時代と十字軍時代の遺跡の上に建てられています。
階段を下りていくと、ビザンツ時代
教会の地下には洞穴の住居跡があり、大工ヨセフの仕事場と聖家族が住んでいたところされています。
          
                          祭壇もありました。
          

          
昼食後ハルマゲドンの舞台メキドへ向かいます。